マモさんの生い立ち「大学生編(前編)」
こんにちは。
「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。
自分の生い立ちを赤裸々に綴るブログ第5弾でございます。
第1弾のブログはこちら
マモさんの生い立ち「誕生〜小学校低学年編」
第2弾のブログはこちら
マモさんの生い立ち「小学校高学年〜中学生編」
第3弾のブログはこちら
マモさんの生い立ち「高校進学〜大学進学編」
第4弾のブログはこちら
マモさんの生い立ち「大学生サークル入部編」
僕がブログで最も書きたかったことが「僕の過去」です。
というのも、僕自身過去の出来事に引っ張られすぎていてなかなか自分の殻を破れなくてずっとずっと悩んでいました。
同じような人って世の中にたくさんいるんじゃないかなと思っていて、そういう方に読んでいただき僕と同じように過去の自分から解放されて新たなステージに挑んでいただけたらなぁと思っています。
なお、これから書く僕の過去の内容についてはあくまでも僕自身の記憶から紡ぎ出したものであり、自分の勝手な解釈で事実を捻じ曲げている表現があるかもしれません。
それぐらい過去の記憶に関しては曖昧なものが多いです。そこのところをご了承の上、読み進んでいただければ幸いです。
では、マモさんの生い立ち「大学生編(前編)」です。どうぞ。
大学生活を振り返るととにかく楽しかった思い出しかない。
いや違う。楽しかったというよりも、この頃はプレッシャーとか悩みとかがほとんどなかったと思う。
いや違う。悩みはあったがその悩みは無理矢理なかったことにしていたんだと思う。
悩みを無理矢理なかったことにできたのは、初めて彼女ができたことに尽きる。
無事にクイズ愛好会というサークルに入った僕は3ヶ月後に初めての彼女ができた。
お相手は同じサークルのSさん。
大学4年間ずっと彼女と付き合っていて恋愛関係では特に悩みはなかった。
彼女との出来事(いろいろありましたwww)はいつか「マモさんの女性遍歴」というブログで紹介したいと思う。乞うご期待!www
ではどんな悩みがあったのか?
過去のブログを読んでる方は察しがつくと思うが、僕の悩みと言えば家族のことである。
僕が高校生の頃に話は戻るが、その頃3つ年上の兄は専門学校に通っていてバイトもしていて家に帰るのが遅い日が多々あった。
その度に母は兄が帰ってくるまで必ず起きていて帰ってくるのを確認してから寝る毎日を送っていた。
でも僕の時は違った。
僕が通っていた大学は愛知県の豊橋市というところにあって、僕が住んでいる岡崎市から電車で小一時間ぐらいかかるところにある。
サークル室は24時間解放されていて大学構内は夜中でも人がいるような大学で、夜中は軽音部とかがガンガンに音楽を奏で、社交ダンス愛好会は夜中でも踊っていた。
そんな自由度の高い大学だったので、僕は終電ギリギリまでサークルを楽しみ、終電で帰る日々が続いた。
家に帰るのはたいてい日にちが変わっている。
が、僕が帰ってくる頃母はもう寝ていた。
母曰く「マモくんは危ないことやいけないことすることは、絶対ないだろうから特に心配してない」とのこと。
そう。僕はそういう風に見られているのだ。
不登校の兄や妹と違ってきちんと学校に行き進学をし優等生なのである。
そして、僕は優等生でいなければならない。そんな感覚だった。
だんだんと家に帰るのも嫌になってきた僕は次第に終電を逃して家に帰らずに徹クイをすることが多くなってきた。
※徹クイとは徹夜でクイズをすること
さらに彼女の家に泊まったりすることも多くなり、家に帰らない日が多くなってきた。
最初のうちは家に帰らない日は必ず母に連絡をしていたが、だんだんそれすらもなくなり家に帰る日に連絡するようになっていた。
最大10日間ぐらい帰らないこともあって、さすがにその時は母からメールが来た。
「生きてる?」
たった4文字の素っ気ないメール。僕の返信は
「なんとか」
僕も4文字で返す。
この時の僕の心境としては、母親には愛されてないのかなぁって思っていた。
3兄妹の中で1番愛されていないんじゃないかと思っていた。
でも、今思えばこの「生きてる?」にもきちんと意味があったのかもしれない。
この4文字メール事件の前か後ろかは覚えていないが、我が家ではこんな事件が起きていた。
僕がいつも通り夜遅くに家に帰ってくると、電気がついていないリビングで母が号泣していた。
どうしたの?と聞いてみたところ原因は妹だった。
4つ下の妹は僕が大学1年生の時、中学3年生。
妹は小学4年生から不登校で中学は1日も登校していない。
妹のすごいところは不登校であるにも関わらず同級生たちと仲良く遊ぶこと。
そんな中、妹はある事件を起こした。
万引きである。
どうやら悪い同級生にそそのかされ、万引きに加担してしまったそう。
妹は万引きなんてしたくなかったそうだ。
母の説明を聞きながら僕は「ふーん」と興味ないリアクション。
母はお店まで行き、お店の人に謝って特に大きな事態にはならなかったみたいだが、その後が大変だったらしい。
兄が激昂したのだ。
妹の髪を引っ張って父の仏壇の前まで連れて行き、「お父さんに謝れ!」とわめき散らしていたらしい。
兄はとても真面目だが、キレると本当に怖い。
それを見ると僕が幼い頃にかすかに記憶している父がキレたときの光景がフラッシュバックする。
そういうところは父と兄は似ているとずっと思ってた。
兄はきっと父の代わりをしたのだと思う。
もし父が生きていたら妹を怒鳴り散らす。万引のような犯罪を我が家の人間は決してやってはいけない。
だから父に謝れ!って怒鳴ったのだと思う。
そんな話を聞いても僕は「ふーん」という素っ気ないリアクション。
その後、母はこんなことを言い出した。
「私、マモくんにお父さんの死因ってちゃんと話したことあったっけ?」
この時も前の「ふーん」と同じぐらいのテンションで「たぶん聞いてない」と答えた。
母は続けて泣きながらこう言った。
「お父さんの死因はね、自殺なの」
つづく
いかがだったでしょうか?
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