マモさんの生い立ち「大学生編(後編)」
こんにちは。
「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。
自分の生い立ちを赤裸々に綴るブログ第6弾でございます。
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マモさんの生い立ち「誕生〜小学校低学年編」
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マモさんの生い立ち「小学校高学年〜中学生編」
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マモさんの生い立ち「高校進学〜大学進学編」
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マモさんの生い立ち「大学生サークル入部編」
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マモさんの生い立ち「大学生編(前編)」
僕がブログで最も書きたかったことが「僕の過去」です。
というのも、僕自身過去の出来事に引っ張られすぎていてなかなか自分の殻を破れなくてずっとずっと悩んでいました。
同じような人って世の中にたくさんいるんじゃないかなと思っていて、そういう方に読んでいただき僕と同じように過去の自分から解放されて新たなステージに挑んでいただけたらなぁと思っています。
なお、これから書く僕の過去の内容についてはあくまでも僕自身の記憶から紡ぎ出したものであり、自分の勝手な解釈で事実を捻じ曲げている表現があるかもしれません。
それぐらい過去の記憶に関しては曖昧なものが多いです。そこのところをご了承の上、読み進んでいただければ幸いです。
では、マモさんの生い立ち第6弾「大学生編(後編)」です。どうぞ。
母はこう言った。
「お父さんの死因はね、自殺なの」
薄々気付いていた。
でもその時まで母にお父さんの本当の死因について聞いたこともなかったし、聞いてはいけないものだと思っていた。
死因が自殺だと聞いても僕は無関心な感じで「ふーん、そうなんだ」と他人事のように返事をした。
妹が万引きに加担をし、兄が妹を激昂し、母がリビングで号泣している。そんな状況を僕は他人事のように見ていた。
この頃、僕は完全に家族というものに関心がなくなっていた。
それは、小学生から高校生まで自分を押し殺して過ごしていた苦痛な毎日が大学生になった途端に恋人ができ楽しい時間を過ごせる毎日に変わりもう家族のことを考えるのは嫌になっていたからだと思う。
お父さんはお父さん。僕は僕。
全く別の人なんだから、今さら死因が自殺だと聞いて僕は何を思えばいいんだよという気持ちもあった。
兎にも角にも、この時の僕はお父さんの死因に動揺するどころか無関心だったのだ。
それよりももっと僕の心をえぐるような出来事が1年後に起こる。
僕が大学2年生の時の8月にそれは起こった。
その頃、3つ上の兄は専門学校を卒業して地元の自動車関係の会社に就職していた。
妹はというと年齢的には高校1年生になっているはずの年齢だけど小学校4年生から不登校で中学3年間も不登校で、兄と違って高校に進学せずに毎日家にいた。
さすがの母もこの時ばかりは妹の今後について心配もしてた。
ある日妹は母に「これにお母さんの名前書いてって言われたから書いて」とある紙を差し出した。
その紙は履歴書だった。
妹は8月の自分の誕生日の日に、母に何も言わずにコンビニのアルバイトの面接に行ってきたのだという。
アルバイトの募集が16歳以上だったので誕生日を迎えるまで動き出せずにいたらしい。
履歴書の書き方とかも自分で調べて、自分の意志でコンビニまで行ったみたいだ。
で、履歴書には18歳未満は親の同意のサインが必要でアルバイト先のコンビニの人から同意のサインをもらってきてと言われて母に履歴書を見せたのだ。
この後、面接は合格して妹はアルバイトを始めることになる。
この時僕は絶望に近い感情が溢れ出した。
年齢が3つ上の兄が僕より先に社会人としてお金を稼ぐことは仕方がないと思っていたが、まさか4つ下の妹が自分より先に社会人としてお金を稼ぐなんて思ってもみなかったのでものすごくショックだった。
小学生から高校生までの間、兄や妹みたいになんか絶対にならない!真面目に学校に通っている僕は将来2人に負けないような幸せな暮らしをしてやる!お金だって一番稼いで三兄妹で一番立派になってやる!ってずっと思っていた。
なのに妹に先を越されてしまっというなんとも言えない敗北感のような気分になり、自分に自信がなくなっていた。
僕は大学生になってからバイトはせずに母からお小遣いもらって大学に通っていて、授業よりもクイズサークルに没頭して毎日遊んでいるような生活をしていた。
大学2年になっても就職のことなんて全く考えてなくて楽しいことに流されていた。
僕はずっとアリとキリギリスだったらアリだと思っていた。兄や妹はキリギリスだと思っていた。
毎日毎日、一生懸命学校に通い将来のために勉強していればいい暮らしができると思っていた。
ところがキリギリスだったはずの兄と妹の方が先にお金を稼ぎ、アリだった僕が置いていかれてしまったのでは?という気持ちになっていた。
大学ではろくに勉強もせずに遊び呆けていたので自分こそがキリギリスなのではと自分を責めるようになってしまっていた。
この頃の僕にとって「お金を稼ぐ」ということははるかに難しいものだと思っていた。
というか「怖い」というイメージに近かったのだと思う。
そもそも大学に進学した時も、就職してお金を稼ぐ感覚が分からないし怖いからとりあえず進学しとくかという感じで大学受験をしていた。
今思えばその頃の僕は、心の奥底で就職するということは父親みたいに自殺をする要因になるのではと無意識に感じていたかもしれない。
だからバイトするのもなんとなく避けて大学生活を送っていたのだと思う。
兄や妹に対するコンプレックスはどんどん強まる中、それを吹き飛ばすように僕は大学生活(主にクイズサークル)に没頭した。
大学の授業で学んだことなんて今ではほぼ忘れてしまうぐらい適当に受けていたが、単位だけは器用に取っていたので、大学3年生の頃には自由な時間も少しでき始めた。
なので僕も初バイトとして家庭教師をするようなり、その後ガソリンスタンドのバイトをするなどしてお金を稼ぐことにありつけた。
「怖い」というイメージは全然なく、どちらかというと楽しく仕事できていたと思う。
大学3年生後半からは就活が始まった。
就職先は全くもって真剣に探す気がなかった。
この頃の僕は家族に対しては全くもって自信がなかったが、クイズサークルの中でも仕切り役をやったり、人と話すのが得意だったり、単位も簡単に取っていたので対外的には自分に自信が持てていた。
なので就職先は正直どこでもよかったし、どの企業に行ってもそれなりに活躍できると自負していた。
結局、就活として3社面接に挑み、3社とも合格。
これ以上就活するのはめんどくさいと思って3社の中で1番面白そうな100円ショップの企業に就職することになる。
~完~
以上で「マモさんの生い立ち」シリーズは完結です。
この後、就職しサラリーマンとして4年半働いたあと転職をしいろんなビジネスに手を染めていきます笑
その辺りの話は、またちょくちょくブログに上げていこうと思ってますのでよろしくお願いします。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。