マモさんの生い立ち「高校進学〜大学進学編」
こんにちは。
「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。
自分の生い立ちを赤裸々に綴るブログ第3弾でございます。
第1弾のブログはこちら
マモさんの生い立ち「誕生〜小学校低学年編」
第2弾のブログはこちら
マモさんの生い立ち「小学校高学年〜中学生編」
僕がブログで最も書きたかったことが「僕の過去」です。
というのも、僕自身過去の出来事に引っ張られすぎていてなかなか自分の殻を破れなくてずっとずっと悩んでいました。
同じような人って世の中にたくさんいるんじゃないかなと思っていて、そういう方に読んでいただき僕と同じように過去の自分から解放されて新たなステージに挑んでいただけたらなぁと思っています。
なお、これから書く僕の過去の内容についてはあくまでも僕自身の記憶から紡ぎ出したものであり、自分の勝手な解釈で事実を捻じ曲げている表現があるかもしれません。
それぐらい過去の記憶に関しては曖昧なものが多いです。そこのところをご了承の上、読み進んでいただければ幸いです。
では、マモさんの生い立ち「高校進学〜大学進学編」です。どうぞ。
中学3年になり高校受験の日が近づいてきた。
僕の成績はオール3に少し毛が生えたぐらいの成績で、特に成績優秀でもなければ落ちこぼれということでもなかった。
ただ私立の高校だけは絶対に入りたくなかった。
理由は単純。池田家の経済状況のことを考えたら私立高校には入れないと思っていたからだ。
話は少し変わるが、僕は小学生の頃から女性の先生には気に入ってもらえる傾向にあった。
今思えば、普段から毎日ニコニコしてたし(ほぼ作り笑いだったけど)挨拶とかもしっかりする(周りからの評価を人一倍気にするから)生徒だったので気に入ってもらいやすかったのかもしれない。
中学3年の時の担任の先生は杉山先生という女性の先生だったが、ものすごくえこひいきしてもらっていた覚えがある。
というのも、僕は宿題を全然出さない生徒だったのだが(詳しくは第2弾ブログで)杉山先生にはあまり怒られた記憶がない。
僕と同じように宿題をしてこなかった玉木くんは毎日こっぴどく叱られていた覚えがある。
とにかく僕は杉山先生には気に入ってもらえていたことには違いないと思う。
そんな中、ある日杉山先生に呼び出されてこんなことを言われた。
「高校受験の推薦枠で母子家庭枠というのがあるんだけどマモルくん、これ使ってみる?」
え?そんなのあるんすか???
この母子家庭枠を使うと筆記試験無しで面接だけで合格がもらえるらしく、1つの中学校から1〜2人のこの枠が与えられるとのこと。
この頃勉強にあまり自信なかったので迷わずその母子家庭枠を使うことにした。
しかも自分の学力にあった公立高校を選べるとのこと。
僕は2つの高校で迷っていた。
少し背伸びをすれば入れそうな岡崎西高校と今の学力で十分入れる岡崎東高校。
で、僕が選んだのは後者の岡崎東高校。
なぜか?
苦労して岡崎西高校に入ったとしても高校生活ではきっと学力テストでドベの方になっちゃうんだろうなぁと。
岡崎東高校だったら順位は上位にいけるんじゃないかなぁと。
この頃からなんとなくこんな思考が身についていて極力努力をせずに楽する選択を選ぶようになっていた気がする。
そして、高校受験は面接だけであっさり合格し無事岡崎東高校に入学できました。
で、高校の思い出はというと・・・。ほんっとになんもないです(^^;;
部活も適当、勉強も適当、友達関係も適当、恋愛は皆無wwwそんな超平凡な高校生活してました。
高校3年生の時の僕。友達いなさそうな顔してるwww
高校入学時にはいわゆる高校デビューってやつをしてみようかと企んではいた。
小学生、中学生の時は全く目立つ要素がない子だったけど心の中ではみんなからチヤホヤされる人気者になりたかった。
だから高校入学したらキャラチェンジをして人気者になりたいなぁと密かに思っていた。
しかしすぐに断念した。
というのも同じ中学の同級生も多かったため「マモル、高校デビューとかしてんじゃん」とか「中学の時とキャラ全然違くね?」とか言われるのが嫌だったからだ。
とにかく人の目を気にする性格だった。
適当な高校生活を送っていたものの一応、当初の思惑通り学力テストでは上位にいることができ国公立大学を目指す進学クラスには属していた。
しかし、特に目標もなくダラダラと過ごしていました。
大学受験はセンター試験は受けたが国公立大学は全て不合格で、滑り止めで受けた愛知大学は合格。南山大学は補欠合格していた。
補欠合格とはいわゆるキャンセル待ちみたいなもので、当時の担任の先生からは補欠合格はたいてい合格になると教えられた。
が、不合格だった。この時から少し大人に対して不信感を抱くようになった笑
ということで愛知大学に行くか浪人するかで迷っていた。
ただ私立の大学だけは絶対に入りたくなかった。
理由は単純。池田家の経済状況のことを考えたら私立大学には入れないと思っていたからだ。
ところが、母親からこんな提案が来た。
「実は母子家庭枠で市役所から奨学金が出るの。しかも利子は無くて大学卒業後最大10年返済できるから愛知大学行っても大丈夫だよ」
またしても出てきた母子家庭枠!
僕は浪人するのはめんどくさいと思ったので愛知大学に進学することを決意。
この頃は何にも考えず奨学金をゲットして大学に進学したんですが、今思えば父親の死があったからこそこういう優遇を受けていたんだなぁと感じている。
中学・高校時代は、父親はいなくて当たり前だったし、もしも父親がいたら・・・なんてことも考えることすらなく過ごしていた。
でも間違いなく何にも苦労せずに高校、大学と進学をできたのは父親のおかげだったのかもしれない。
そして、いざ愛知大学へ!
僕はウキウキしていた。
なぜなら高校デビューできなかったリベンジを大学デビューで果たそうとしていたからだ。
岡崎東高校から愛知大学(豊橋校舎)に進学したのは僕を含めて5〜6人ぐらいだったので、キャラチェンジをしても大丈夫だと確信!
ただ、この先心に突き刺さるある事実を突きつけられることなど当時の池田守には知る由もなかった。
つづく
いかがだったでしょうか?
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