僕が貯金しない理由
こんにちは。
「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。
今日は「僕が貯金しない理由」について書きたいと思います。
それでは、どうぞ。
1.僕が貯金しない理由
「僕が貯金しない理由」なーんてタイトル書くと、ものすごく深い理由があるんじゃないかとかホリエモンみたいに豪快な考え方をブログに綴るんじゃないかとか思われるかもしれないですが、そんなことは全くないです。
僕が貯金しない理由は
くっっっっそダサいです!!!!
何にも参考にならないと思うので、最後まで読みたいという方は心して読んでくださいねw
2.お金がない
僕が大学生を卒業した後の職務経歴を簡単に書きます。
22歳
新卒で100円ショップの会社に入社
23歳
その2ヶ月後、店長になる
24歳
大井川市で新店がオープンしたため3店舗の店長となる
25歳
浜松市に戻り全国売上5位の店舗の店長になる(月2000万円以上の売上)
26歳
浜松市内17店舗を統括+1店舗の店長をやるエリア店長となる(エリアマネージャーではない)
激務のため身体を壊し退社
27歳
無職の時にネットワークビジネスと出会うが、本気でやらず
営業の仕事に就く(正社員)
28歳
ネットワークビジネス本気でやり出す
営業の仕事は適当にこなす
29歳
ネットワークビジネスでは稼げないと判断し、他のビジネス探す
独立支援事業というのをやってる団体と出会い、それを始める
営業の仕事を辞めて事務職に就く(正社員)
30歳
独立支援事業を本気でやり出す
事務職辞める
31歳~35歳
いろいろあって自己破産する
36歳
現在に至る
最後の方は雑ですみません笑
30歳を越えてからはビジネス上手くいったりいかなかったりの波が激しかったですねー。
月に7桁収入GETする月もありましたし、1円も稼げない月もありました。
そして、最終的にはカードローンしまくって自己破産したわけです。
3.38歳までに自殺で死ぬ運命
僕は30歳を越えてから急に死を意識するようになりました。
なぜ意識するようになったかは僕の生い立ちのブログ読んでみてください。
こちらです。
父が自殺したのは僕が小学3年生の時。
父は当時38歳の若さで自殺しました。
僕は30代に突入するまで父の死はあまり意識してなかったのですが、30代に入った途端38歳という年齢をものすごく身近に感じました。
こういう自分ごとの悩みは誰にも相談するわけでもなく自分1人で抱え込んでいたので、もはや38歳までに自分は自殺して死ぬと決めつけていました。
それ以来、ビジネスでうまくいかなかったら
「ま、死ねばいっか」
人間関係で嫌になったら
「ま、死ねばいっか」
って感じでまるで自分の人生を自分ごととして捉えなくなっていきました。
4.失踪事件
33歳の頃、ビジネスが上手く行かなくなりカードローンしまくって借金地獄になり、当時所属していた組織の仲間たちも信用出来なくなり僕はとにかく逃げようと思いました。
携帯電話の電源を切り、今いる場所からできるだけ遠くに逃げて楽になりたいって思いました。
携帯電話の電源を切った途端、ものすごく楽な気持ちになりました。
お金が無い不安よりも人間関係の不安が大きかったんだと思います。
この頃の僕もまだ周りからどんな風に思われるかをものすごく気にしてました。
遠くに逃げよう。自転車でできるだけ東へ東へ。
持っているお金が尽きたら死のう。本気で考えてました。
何日かかけて、最終的には沼津まで行き(本当は東京まで行きたかったが箱根越えきつくて断念w)お金が底を尽きて2~3日野宿していたところ警察に職質をかけられ母親に連絡が行き、結局死ぬことができず家に戻りました。
これ、30歳越えてる人がやってることですからね笑
めっちゃカッコ悪いですよね笑
でも、僕は真剣でした。必死でした。
5.失踪事件2
その後、ビジネスから手を引き自己破産の手続きをしました。
お金を稼がないといけない状況だったので手っ取り早く仕事に就こうと思い派遣会社に登録。
すぐに仕事が見つかり、全然やりたいとも思ったことのない大手工場の製造ラインの仕事をやりました。
その仕事を1年半続けた頃、このまま派遣の仕事続けていて大丈夫なのだろうか?と思うようになりました。
というのもブログ「マモストーリー」でも書いたのですが、僕は兄と妹に対してものすごくコンプレックスがあって、人よりも稼ぎたい、立派になりたいという気持ちが人一倍強くありました。
兄も妹も結婚している。
幸せな家庭を築いている。
でも僕は、正社員をしているわけでもなく貯金もなく独身。
派遣社員を続けていてもダメだ、やはり何か大きなことしなければ。
そんな気持ちで、またもやいろんなビジネスを探すことになりました。
そして、新しいビジネスを見つけ派遣の仕事を辞めました。
そのビジネスを始めて1ヶ月後にはスピーカー(事業説明会でプレゼンする人)をやらさせてもらい3ヶ月後には月7桁の収入を得ることができました。
が、そこの代表の人と考え方があわず人間関係でものすごく悩むこととなります。(いわゆるパワハラですね)
結局そこからも逃げ出そうと思い、また自転車失踪事件を起こします。
今度は西へ西へ。
最終的に三重県の志摩まで行ったけど死にきれず断念。
僕は30歳を越えてから2度も家出をするという情けない人間なのです。
6.病院へGO!!
2度目の失踪事件から家に帰って来たとき、母親と3時間ぐらいかけて話をしました。
この時まで母親には言ったことのない自分の悩みや苦しみを吐き出しました。
父の自殺との向き合い方
兄と妹へのコンプレックス
子供の頃、我慢してた想い
本当は学校行きたくなかったこと
もっとほめてほしかったこと
僕も母も泣きながら話しました。
2人で出した結論は病院へ行くこと。
この頃の僕は精神的な病気持ちであることは明確だったので病院へ行くことを決意しました。
ただし、薬だけは絶対に飲まないと決めていました。
理由は兄にあります。
僕が25歳の時、浜松で100円ショップの店長をやっていた頃、突然母から電話がありました。
「マモくん、今からターくん(兄の名前)家に来れる?暴れてて手を付けられないから来てほしいの」
何のことかよく分からなかったけど、ただ事じゃないことは分かったのでお店のスタッフに事情を話して兄の家に向かいました
車で向かってるとき、震えが止まりませんでした。
兄は怒るとめちゃくちゃ怖く、小学生の頃は毎日泣かされていた思い出しかないです。
そんな兄が暴れていたとしても、喧嘩とかまるでしない僕が太刀打ちできるわけがないのです。
兄の家に着くと、僕の母と兄の奥さんがひきつった顔をしていました。
兄が僕の顔を見るなり
「なんでマモがここにおるだー!!浜松で仕事してんじゃねーのかー!!」
と怒鳴り散らしながら冷蔵庫をバンバンバンバン蹴ります。
とにかく状況が読み込めなかったのですが、兄は怒り狂ってました。
そのうち、興奮が冷めて疲れたから寝ると言って自室に戻りました。
母と奥さんから話を聞くと、どうやら職場でのパワハラが原因で精神を崩していたので精神病院に連れていこうとしたところ激昴したとのこと。
自分は正常だから病院に行く必要無いと言って暴れだしたみたい。
明らかに正常ではないです。
その後、奥さんから「マモくん、ターくんが呼んでるから部屋に行ってあげて」と言われました。
もう恐怖でしかないです。
絶対に殴られる。泣かされる。
震えながら兄の部屋へ行くと、兄は布団の中でシクシク泣いていました。
「マモ、ごめんな。俺、なんかよく分からなくて・・・・・・」
僕はこう言いました。
「ターくん、何も悪くないよ。病気が悪いんだよ。だから病院行こ。ちゃんとした先生に見てもらおう。」と。
僕の声は兄に届いたらしく、病院へ行くことになりました。
兄はとても真面目な性格で仕事でサボることが一切出来ない人間だったようで、出向先の慣れない環境でパワハラを受けていたようでした。
そのことを誰にも相談出来ず爆発したようです。
「躁鬱(そううつ)病」と診断されました。
冷蔵庫をバンバン蹴って激昴していた時が躁(そう)の状態で布団でシクシク泣いていた時が鬱(うつ)の状態だったみたいです。
その後、1年ぐらい入院をし職場にも復帰。
今はサボることを覚え、結構気楽に仕事してます。
が、薬はいまだに服用しているようです。
話を僕の話に戻しますね。
僕は病院に通うことを決意しましたが、薬だけは飲みたくなかったです。
それは兄が薬で治療していく過程の中でどんどん薬が増えていくのを見てたからです。
なので、僕はカウンセリングだけの治療法をお願いしました。
またまた派遣の仕事をしながら、病院に9ヶ月ぐらい通いカウンセラーにいろんなことを話しました。
今ではすっかり精神的にも落ち着いてきて、元気いっぱいなので心配しないでください笑
7.結論「僕が貯金しない理由」
で、僕が貯金しない超ダサい理由は
お金持ってて精神を崩すと自転車で逃避行するから
です。
はい、超ダサいですね!笑
8.これからは貯金する
さて、僕の超恥ずかしい過去をさらけ出したことにより僕はかなり強くなれたと思います。(本当かよw)
僕には夢があります。
夢についてブログ書いてるのでよかったら読んでください。
この夢を叶えるためには自由な時間と自由なお金が必要です。
その為に今のうちからしっかりお金を蓄えて、周りの大切な人たちを笑顔にしていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。