マモブログ

愛知県で活動しているマモさんです。 名古屋・大須にあるカフェ&バー「TOLAND」の常連であり、そこをSHOWROOMの聖地にするために日々SHOWROOMを配信しています。 今は派遣社員として働いていますが、いずれはフリーランスになり自分のやりたいことをしていきたいと思っています。 そのうちの1つとして僕の考えていることをブログで綴っていきます。

株式会社ニシノコンサルが実に面白い

こんにちは。こんばんは。

「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。

 

今日は「株式会社ニシノコンサルが実に面白い」について書きたいと思います。

 

それでは、どうぞ。

 

 

 

 

1.株式会社ニシノコンサル

 

皆さんはキングコング西野亮廣さんのabema TVの番組「株式会社ニシノコンサル」という番組を知っているでしょうか?

 

gxyt4.app.goo.gl

 

8/28現在で2回分放送しているんですが、これが実におもしろい!

 

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第1回は「LIVE集客10人のアイドルをコンサル!」

第2回は「登録者数58人カップルユーチューバーをコンサル!」

という放送だったんですが、キングコング西野さんが自然体でありながら、的確にアドバイスを次々にしていく姿がとても壮観です。

 

さらに第1回のゲストアドバイザー(番組的にはブレーンと呼ぶ)にSHOWROOM社長の前田裕二さん、第2回のゲストアドバイザーには前田さんと幻冬社編集者である箕輪厚介さんが参戦。

 

ゲストの悩みに素早く反応し次々とアドバイスしていきます。

 

さらにこの番組のアシスタントをしている松本有紗さんがすごい!

 

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フリーアナウンサーがたくさんいるセント・フォース所属で現役東大生。

 

しかもミス東大2017らしい!かわいいね♡

 

オープニングのMCがめっちゃ棒読みですがwww、さすが現役東大生!

ノートの取り方がバツグンにうまいんです。

 

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↓コチラのツイートでも確認できます。

 

西野さんがコンサルしている間に同時進行で議事録が取られていて、それを分割画面で見ながら番組が視聴できるのでとても見応えがあります。

 

さらにTwitterで議事録が公開されていて、番組が終わったあとのこともきちんとデザインされています。さすが!

 

 

2.アイデアは雑談から生まれる

 

この番組を見てて思ったことは、何気ない雑談の中からアイデアやアドバイスが生まれるんだなということ。

 

もちろん西野さん、前田さん、箕輪さんが今まで歩んだ人生観やビジネス論などがあるからこそ生まれてくるアイデアやアドバイスだと思いますが、それ以上に相手の話に耳を傾けて生まれる会話を楽しみながら自然と湧いてくる感じのアイデアが心地よいと感じます。

 

特に前田さんは相手に対する敬意が滲み出ていて、親身になってアドバイスをしている姿は感動すら覚えます。

 

目の前に困っている人がいるならば、自分にできることを惜しみなく分け与えるという姿勢に心打たれます。

 

 

 

3.単なるコンサルではない

 

コンサルタントとは

企業経営などについて相談を受け、診断・助言・指導を行うことを職業としている専門家

らしい。

 

番組ではゲストの悩みを解決することが目的です。

 

しかし番組視聴者側としてはゲストの悩みがきちんと解決されたかどうかを楽しむことはもちろんだが西野さん、前田さん、箕輪さんの考え方、話し方、身振り手振りなどから得るものが非常に大きい。

 

今勢いのある彼らの姿を無料で見れるなんてとても贅沢だ。

 

コンサルしている姿だけではなくいろんな部分で勉強になること間違いなしです。

 

 

4.マモルコンサルやっちゃうよ

 

 

で、この番組を見ながら思ったこと。

 

僕もやりたい!!

 

 

 

 

 

というのも僕はSHOWROOMを(ほぼ)毎日配信していて、ときにはリスナーの悩みを聞いたりアイデアを出したりとかしています。

 

リアルでもイベントの相談事や恋愛の相談、職場では営業のコツなどを聞かれて随時それらに答えています。

 

やってることって株式会社ニシノコンサルと同じで、雑談しながらしれっと相手のためを思ってアドバイスしてるんです。

 

普段の普通の雑談ではなくイベント化してみんなの悩みを解決したり、僕のアイデア出てくる瞬間を見てもらいそこからも何か気づきとか出てきたら最高だなぁと思っています。

 

 

5.マモルコンサルの詳細

 

思いついたらやってみる。

 

ということで、9月に第1回マモルコンサルやっちゃいます。

 

日時:9月14日(金)20:00〜

場所:スナックキャンディ名古屋

名古屋市中区4-11-5 Z‘sビル2F(TOLAND内)

参加費:300円+1ドリンクオーダー制

 

悩みはなんでもOK!仕事、ビジネス、恋愛、人間関係etc

 

人数多い方がみんなでワイワイしながらいろんなアイデア出そうなんでたくさんの参加お待ちしています!

 

なお、当日の様子はSHOWROOMで配信しようとも思っています。

 

 

マモさんの【目指せ!!SR聖地TOLAND】

showroom-live.com

 

ルームフォローお願いします。

 

 

6.最後に

 

ツイッターで告知をしたら・・・

 

なんと

 

あやちゃんが秘書やってくれるって!!最高!!

 

ということで、月に2回ぐらいのペースでマモルコンサルやろうと思ってますので皆様よろしくお願いします。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

Twitterでこのブログの感想書いていただけると大変嬉しいです。

 

ご協力よろしくお願いします。

SHOWROOMを楽しむ方法〜リスナー上級編〜

こんにちは。

「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。

 

今日は「SHOWROOMを楽しむ方法〜リスナー上級編〜」について書きたいと思います。

 

それでは、どうぞ。

 

 

 

 

1.SHOWROOMって何?

 

SHOWROOM-ライブ配信ならショールーム

SHOWROOM-ライブ配信ならショールーム

  • SHOWROOM INC.
  • エンターテインメント
  • 無料

 

 

そもそもSHOWROOMってなんぞや?という方はこちらの記事を読んでください。

 

 

 

2.SHOWROOMを楽しむ方法〜リスナー基礎知識編〜

 

今回の記事はリスナー上級編になりますので、基礎知識編をまだ読まれていないという方は是非こちらのブログを読んでください。

 

 

3.SHOWROOMの楽しみ方

 

SHOWROOMではさまざまな配信者がいます。

 

テレビや音楽番組に出て活躍しているアイドルやタレントさん、ファッション雑誌のモデルさん、ギターやピアノなどで演奏したり歌を歌うミュージシャン、リクエストした台詞を喋ってくれる声優さんやその卵などなど。

 

これらの配信をただ見ているだけでもいいのですが、SHOWROOMでは配信者とリアルタイムでコミュニケーションがとれるところが最大の魅力です。

 

いろんな配信者さんをただ見ているよりも、コメントを書いてみたりイベントの応援をしたりするとより一層SHOWROOMを楽しむことができます。

  

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イベントはさまざまありまして、モデルになれるとか、ラジオのアシスタントMCになれるなどの芸能活動に直結するようなものもあれば、配信に必要な機材、お肉、お米、スイーツなど賞品がもらえるものもあります。

 

配信者がどんなイベントに出場しているのかチェックしてみてください。

 

 

 

4.イベントの種類

 

イベントでは大きく分けて2タイプ存在します。

 

①順位関係なく一定のポイントを獲得すれば賞品・特典がもらえるイベント

②順位を競いその順位に応じて賞品・特典がもらえるイベント

 

①のイベントはこんな感じです。

 

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代表的なイベントが「視聴者倍増企画」。

 

このイベントにエントリーすると、順位関係なく30万pt達成すればホワイトボードを、50万ptを達成するとオリジナルアバター制作権を、70万pt達成するとスマホスタンドをもらうことができます。

 

 

 

②のイベントはこんな感じです。

 

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イベント期間中に50万pt達成することを前提とし、達成した人たちの中で順位別に獲得できる賞品が異なります。

 

イベント出場には条件がある場合もあり、上記の「肉祭り」イベントではフォロワー数が300〜500人限定のイベントのようです。

 

他にも公式枠限定・アマチュア枠限定とか、男性限定・女性限定とか、ラジオ配信者限定とかあります。

 

中には1日に配信する時間や配信回数に制限があるイベントもあります。

 

こういう制限のあるイベントでは配信者とリスナーが意見を交換しあって配信のタイムテーブル(タイテと略す) を決めていきます。

 

応援しているルームのタイテを把握して無理のない応援で、お気に入りの配信者を応援してみましょう。

 

 

5.ポイント貢献するためには

 

前回書いた「SHOWROOMを楽しむ方法〜リスナー基礎知識編〜」では50カウントと星投げ・種投げの方法、有料ギフトについて書きました。

 

ポイントの貢献の仕方はその3つです。

 

①50カウント(コメントを50回書き込むでもOK)

②星投げ・種投げ

③有料ギフト

 

①と②は無課金でできるのでお気に入りの配信者を応援したい方は、まずはこちらのやり方をマスターすると良いです。

 

ただ、①と②は1配信で貢献できるポイント数に制限があります。

 

50カウントは1配信につき1度のみだけですし、星集めや種集めにも制限があります。

 

特に星集め・種集めはきちんとルールを把握しておかないと最大限の貢献ができないのでルールを把握しておきましょう。

 

 

 

6.10連投げ

 

星や種、有料ギフトは1個ずつ投げるよりも10個連続で投げましょう。

 

10個連続で投げると10連ボーナスということで1.2倍ポイント貢献することができます。

 

どういうことかと言いますと、例えば星を10個連続で投げると10ptではなく12pt貢献できるということです。

 

たったの2ptと思うかもしれませんが、塵も積もれば山となる!です。

 

有料ギフトも10連で1.2倍になります。

 

10,000G(約10,000円)のタワーを投げるより1,000G(約1,000円)のクマさんを10連で投げた方がポイント貢献できます。

 

クマさん10連だと1.2倍になるので12,000ptの貢献になるのです。

 

なので星投げ・種投げ、有料ギフトはなるべく10連投げを心掛けましょう。

 

 

 

7.1周・2周・3周のやり方

 

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・1周のやり方

星や種を満タン(5種類×99個)にして全て投げ切ることを「1周」と言います。

 

お気に入りの配信者の配信がスタートする前に視聴ボーナスやツイートボーナスなどで星や種を満タンにした状態にしておけばOKです。

※視聴ボーナス⇒30秒視聴すると5種類×5個もらえる

※ツイートボーナス⇒Twitterマークのボタンを押してルームのURLをTwitterでシェアすると5種類×5個もらえる

 

 

もしも配信までに満タンにできなかった場合は、配信中に他の配信者のところに行って視聴ボーナスやツイートボーナスで星や種を集めてみましょう。

 

・2周のやり方

 

1周するのは特に何も考えず、星や種を満タンにしておけばよいですが、2周からは若干ルールの把握が必要になってくるので要注意です。

 

まず大事なルールをお伝えします。

 

“1時間”に獲得できる無料ギフトは5種類各100個の500個まで

 

もう一度書きます。

 

“1時間”に獲得できる無料ギフトは5種類各100個の500個まで

 

これ、しっかり頭に入れておきましょう。

 

 

さて、2周のやり方ですが、まずは事前に星や種を満タンにしておきましょう。

 

事前に(配信開始1時間前までに)満タンにしてあれば、先程書いたルールは関係なく2周することができます。

 

 

2周のやり方(その1)

①配信が始まったら満タン(5種類×99個)になってる星や種を 10連投げを駆使して全て投げ切ります。(1周目)

②配信が終わるまでに他のルームに行き、視聴ボーナスとツイートボーナスで星や種を満タン(5種類×100個)にして全て投げ切ります。(2周目)

※満タンにしてからお気に入り配信者のルームに戻るのではなく、途中で5種類×10個投げると99個でなく100個投げ切ることができます。

③配信中に50カウントも忘れずに。

 

では、配信開始1時間前までに星や種を満タンにできなかった場合はどうでしょうか?

 

例えば、配信開始30分前に星や種を満タンにした場合を考えていきましょう。

 

2周のやり方(その2)

①配信が始まったら満タン(5種類×99個)になってる星や種を10連投げを駆使して全て投げ切ります。(1周目)

ここまではその1と一緒です。

 

ここで例のルールが適用されます。

 

1時間に獲得できる無料ギフトは5種類各100個の500個まで

 

5種類各100個の500個を集めている状態だとこのようなメッセージが出てきます。

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つまり、この場合は13:34になるまで星や種を集めることができないということになります。

 

逆に言えば13:34になれば5種類各100個の500個まで星や種を集めることができます。

 

②制限が解除されたら、配信が終わるまでに他のルームに行き、視聴ボーナスとツイートボーナスで星や種を満タン(5種類×100個)にして全て投げ切ります。(2周目)

※満タンにしてからお気に入り配信者のルームに戻るのではなく、途中で5種類×10個投げると99個でなく100個投げ切ることができます。

③配信中に50カウントも忘れずに。

 

これで2周が完了です。

 

ルールの適用が

 

“1配信”に獲得できる無料ギフトは5種類各100個の500個まで

ではなく

“1時間”に獲得できる無料ギフトは5種類各100個の500個まで

となることをしっかり把握しておきましょう。

 

ここさえ把握しておけば3周と4周は応用を効かせればできますよ。

 

2周以上する時は配信時間が長ければ長いほどやりやすいです。

 

配信者さんの中には配信時間がなかなか取れず30分配信だったり15分配信だったりする時がありますので、短めの配信の時はなるべく事前に星や種を満タンにしておきましょう。

 

 

 

・3周のやり方

 

さぁ、ここからは3周のやり方になります。

 

3周になると事前準備がかなり複雑になるので少し気合を入れて読んでください。

 

3周の場合は事前準備が2段階になります。

 

①配信開始1時間半前までに星や種を満タン(5種類×99個)にします。

 

②配信開始の30分前にどこかのルームに入って視聴ボーナスをもらいます。この時、すでに5種類×99個あるので視聴ボーナスをもらっても星や種は増えません。もったいないので入ったルームで視聴ボーナスがもらえるまでの30秒間で5種類×5個ずつ投げちゃいましょう。(これを「捨て星」「捨て種」と言います)

 

この捨て星・捨て種をした時間のことを『起点』と呼びます。

 

この『起点』という言葉覚えといてください。

 

起点を作った後に他のルームに行って星や種は投げてはダメです。満タンまで貯めれなくなってしまうので要注意です。(星集めの場合はアマチュア枠で種を投げるのはOK、種集めの時に公式枠で星を投げるのはOK)

 

配信が始まったら満タン(5種類×99個)になってる星や種を10連投げを駆使して全て投げ切ります。(1周目)

 

他のルームに行き、視聴ボーナスとツイートボーナスで星や種を満タン(5種類×95個)にして全て投げ切ります。(2周目)

 

補足します。

30分前に起点を作って5種類×5個ずつ星や種をGETしています。そして原則ルール「“1時間”に獲得できる無料ギフトは5種類各100個の500個まで」が適用されるので残りの5種類×95個を回収することができます。

 

⑤配信開始から30分後(起点から1時間後)に星集め・種集めの制限が解除されるので、(解除待ちに50カウント済ませておくとよき)配信が終わるまでに他のルームに行き、視聴ボーナスとツイートボーナスで星や種を満タン(5種類×100個)にして全て投げ切ります。(3周目)

※満タンにしてからお気に入り配信者のルームに戻るのではなく、途中で5種類×10個投げると99個でなく100個投げ切ることができます。

 

これで3周コンプリートです!

 

どうですか?わかりましたか?

 

配信1時間半前に満タンにするとか、起点を30分前に設定するとかはあくまでも目安です。

 

「“1時間”に獲得できる無料ギフトは5種類各100個の500個まで」という原則ルールのもとであれば時間帯は前後しても構いません。

 

応援したいルームの配信時間が30分なのか?1時間なのかで星集め・種集めできる時間も変わってくるので、何回も言いますが原則ルールをきちんと把握しておきましょう。

 

 

もう少し分かりやすくするために具体的な時間を入れて見ていきましょう。

 

例)配信時間20:00〜21:00の場合

 

先程書いた3周のやり方に当てはめると

 

①配信開始1時間半前(18:30)までに星や種を満タン(5種類×99個)にします。

 

②配信開始の30分前(19:30)にどこかのルームに入って視聴ボーナスをもらいます。この時、すでに5種類×99個あるので視聴ボーナスをもらっても星や種は増えません。もったいないので入ったルームで視聴ボーナスがもらえるまでの30秒間で5種類×5個ずつ投げちゃいましょう。(これを「捨て星」「捨て種」と言います)

 

この捨て星・捨て種をした時間のことを『起点』と呼ぶんでしたね。

 

何回も言いますが、この『起点』という言葉覚えといてください。

 

そしてこれも重要ですよ。

起点を作った後に他のルームに行って星や種は投げてはダメです。満タンまで貯めれなくなってしまうので要注意です。(星集めの場合はアマチュア枠で種を投げるのはOK、種集めの時に公式枠で星を投げるのはOK)

 

配信が始まったら(20:00)、満タン(5種類×99個)になってる星や種を10連投げを駆使して全て投げ切ります。(1周目)

 

他のルームに行き、視聴ボーナスとツイートボーナスで星や種を満タン(5種類×95個)にして全て投げ切ります。(2周目)

 

補足します。

30分前(19:30)に起点を作って5種類×5個ずつ星や種をGETしています。そしてルール「“1時間(19:30〜20:30”に獲得できる無料ギフトは5種類各100個の500個まで」が適用されるので残りの5種類×95個を回収することができます。

 

⑤配信開始から30分後(起点から1時間後の20:30)に星集め・種集めの制限が解除されるので、(解除待ちに50カウント済ませておくとよき)配信が終わるまでに他のルームに行き、視聴ボーナスとツイートボーナスで星や種を満タン(5種類×100個)にして全て投げ切ります。(3周目)

※満タンにしてからお気に入り配信者のルームに戻るのではなく、途中で5種類×10個投げると99個でなく100個投げ切ることができます。

 

 

 いかがでしょうか?

 

具体的に時間を入れると少しは理解しやすいのかなぁと思います。

 

この3周のやり方は頭で覚えてもなかなか理解するのが難しいです。

 

1度実際に3周やってみると理解できますし、ものすごく大変であることが分かります。

 

ぜひ3周にチャレンジしてみてください。

 

 

・4周も可能

 

配信時間が1時間を超える場合は4周することも可能です。

 

さすがに4周のやり方を全部書いても読むの大変だと思うのでさらっと紹介します。

 

例)配信時間が20:00〜21:30で星集め・種集めを満タンにするのに10分でできる場合

 

①18:10  星や種を満タンにする。

②19:10  捨て星・捨て種をして起点を作る。

③20:00  配信開始。満タン(5種類×99個)になってる星や種を10連投げを駆使して全て投げ切ります。(1周目)その後すぐに他のルームに行き、視聴ボーナスとツイートボーナスで星や種を満タン(5種類×95個)にして全て投げ切ります。(2周目)

④20:10  制限が解除されるので、(解除待ちに50カウント済ませておくとよき)配信が終わるまでに他のルームに行き、視聴ボーナスとツイートボーナスで星や種を満タン(5種類×100個)にして全て投げ切ります。(3周目)

⑤21:10  再び制限が解除されるので(更新してたらもう一度50カウントできます)、配信が終わるまでに他のルームに行き、視聴ボーナスとツイートボーナスで星や種を満タン(5種類×100個)にして全て投げ切ります。(4周目)

 

以上。

 

4周はこんな感じですね。

 

やってみたいという方はぜひチャレンジしてみてください。

 

 

8.最後に

 

昨年の12月にSHOWROOMを始めて半年が経ちました。

 

おかげさまでたくさんの方と繋がることができ、そしてたくさんの方から応援していただいております。

 

僕のルームに遊びに来てくれる方で1周、2周、3周、時には4周してくれる方もいます。

 

本当に多くの時間と手間をかけて応援してくださっています。

 

普段の配信でもお礼を言っているつもりですが、このブログでも言わせてください。

 

いつもいつも本当に応援してくださり本当に本当にありがとうございます。

 

また、まだ僕のルームに遊びに来たことないよという方はぜひ遊びに来てください。

 

 マモさんの【目指せ!!SR聖地TOLAND 】

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

#マモみそ

こんにちは。

「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。

 

今日は「#マモみそ」について書きたいと思います。

 

それでは、どうぞ。

 

 

 

 

1.ハッシュタグ機能

 

Twitterを活用するときに便利な機能があります。

 

それはハッシュタグ機能。

 

自分のツイートにハッシュタグをつけることにより、過去につぶやいたことを読み返すことができます。

 

僕が現在使っているハッシュタグは主に2つ。

 

「#マモ知識」と「#マモみそ」です。

 

「#マモ知識」は自分が持ってる雑学知識などをつぶやくのときに使います。

※豆知識を文字ってます。。。

 

「#マモみそ」は「マモさんの脳みそ」の略でして、僕の考えていることを書いています。

 

 

Twitterでは140文字という制限があるので、僕が考えていること全てを 1つのツイートで表現するのは難しいです。

 

なので、今回は過去の「#マモみそ」を振り返って解説していきたいと思います。

 

2.#マモみそ

 

 

【一石二鳥を簡単に行う方法】

 

僕は常に何か行動するとき、一石二鳥を狙います。

 

僕の考える一石二鳥は自分だけが2つのことを得するということではなく、自分が得をして周りの人も得をすることを考えます。

 

特にSNSで発信するときはそれを心がけています。

 

そもそも僕が発信している「#マモみそ」もそうです。

 

僕の考え方を発信することで周りの人に気付きを与えて、いいこと聞けたなぁってなってくれたら最高です。

 

それと同時に僕の考え方に共感をしてくれることに対して僕はとても大きな満足感を得ることができます。

 

 どうせ発信するなら、見てくれた人にハッピーになってもらいたいですからね。

 

 

 

 

 

これは友人のプロテイン前田くん(以下、プロちゃん)のツイートに対してのコメント付きリツイートです。

 

プロちゃんは現在会社員をやりながらパーソナルトレーナーとしてダイエットや筋トレなどを発信している人です。

 

近いうち会社員を辞めてパーソナルトレーナーを軸にフリーランスになり、筋トレの素晴らしさやボディメイクをもっと身近に感じられるようにするためのビジネスなどをしていこうとしています。

 

彼もブログやっているので、ぜひ読んでみてください。

protein-maeda.com

 

ビフォーアフターの写真半端ねぇ。

 

で僕の「#マモみそ」なんですが、失敗というネガティブな単語も考え方によってはポジティブに捉えることができると思うんです。

 

誰しも小さい頃に失敗を繰り返して成功した経験があるはずです。

 

何事もそうですが、最初から成功することなんてないです。

 

自転車を乗れるようになったのも、何度も何度も転んでは立ち上がりチャレンジし続けるから乗れるようになります。

 

プロちゃんは親にこう言われたそう。

「あれこれ考えずやって、失敗ばかりじゃん」

 

これ自転車での例え話に当てはめると

「あんた、転んでばっかりで失敗ばっかじゃん」

 

転んだことを失敗、自転車に乗れることを成功とするならば、成功のための失敗は「経験」「実績」「功績」「成功への布石」になります。

 

自転車に乗るという明確なビジョンさえあれば転んだことは失敗としてカウントされず、成功のためへの過程になるのです。

 

プロちゃんの親が失敗ばかりにフォーカスを充てているのは、プロちゃんの思い描いているビジョンがしっかり見えていないんだろうなぁと思いました。

 

とはいえ、プロちゃんが思い描いてるビジョンを親に伝えてもなかなか理解されないんだろうなぁと思うけど。(めちゃくちゃ壮大なこと考えてそうだもんなぁ)

 

 

 

 

 

「やり方」よりも「在り方」

 

これは僕の座右の銘といっても過言ではないほど常日頃から意識していることであり、周りの人にも伝えていきたい言葉です。

 

うまくいっている人は「やり方」を教えてくれます。

 

Twitterで見かける僕が好きな人にプロ無職るってぃさん、プロ奢ラレヤーさんなどがいますが、どんなツイートをしてもいいねやリツイートの数が半端ないです。

 

いわゆるインフルエンサーと呼ばれる人たちの発言に憧れを持っている人も多く、どんなことを言えばインフルエンサーになれるのか、どんな行動をしたらいいのかを模索しているように見えます。

 

ほとんどの人が「やり方」を模索してると思うんですよ。

 

でも、インフルエンサーと呼ばれる人たちがインフルエンサーになれたのは「やり方」が優れていたのではなく「在り方」が素晴らしいからだと思うんですよ。

 

これからますます人工知能が発達し世の中の仕組み自体が変わっていきます。

 

人間には人間にしかできないことが求められていきます。

 

人工知能は「やり方」をどんどん習得していきます。

 

自分はどんな人間で在るのか。

 

「在り方」を追求することがこれからの生き方につながると僕は信じています。

 

 

 

 

多くの人は人から好かれたいと思っているんじゃないでしょうか?

 

手っ取り早く人から好かれるにはどうしたらいいでしょうか?

 

それは人を好きになることです。

 

人を好きになると頑張る理由が増えますのでエネルギーに満ち溢れていきます。

 

そのエネルギーをまとったあなたのことを好きになってくれる人が現れ、その人もエネルギーに満ち溢れていきます。

 

好きになったらどんどん伝えていきましょう。

 

直接その人に言うのもいいし、タグ付けしてTwitterで発信するのも良いです。

 

そうやってどんどん好きな人連鎖を繋いでいけばどんどん仲間が増えていきます。

 

実際に・・・

 

 

 れいなちゃんが反応してくれました!

 

れいなちゃん、ありがとう!

 

好きな人に好きと伝えると仲間が増えていくんです!

 

 

 

今回のブログは以上です。

 

「#マモみそ」は他にもたくさんつぶやいているので良かったら検索してみてください。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

僕が貯金しない理由

こんにちは。

「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。

 

今日は「僕が貯金しない理由」について書きたいと思います。

 

それでは、どうぞ。

 

 

 

 

 

1.僕が貯金しない理由

 

「僕が貯金しない理由」なーんてタイトル書くと、ものすごく深い理由があるんじゃないかとかホリエモンみたいに豪快な考え方をブログに綴るんじゃないかとか思われるかもしれないですが、そんなことは全くないです。

 

 

僕が貯金しない理由は

 

 

くっっっっそダサいです!!!!

 

 

何にも参考にならないと思うので、最後まで読みたいという方は心して読んでくださいねw

 

 

2.お金がない

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僕が大学生を卒業した後の職務経歴を簡単に書きます。

 

22歳

新卒で100円ショップの会社に入社

 

23歳

静岡県浜松市で副店長となる

その2ヶ月後、店長になる

 

24歳

静岡県島田市で2店舗の店長になる

大井川市で新店がオープンしたため3店舗の店長となる

 

25歳

浜松市に戻り全国売上5位の店舗の店長になる(月2000万円以上の売上)

 

26歳

浜松市内17店舗を統括+1店舗の店長をやるエリア店長となる(エリアマネージャーではない)

激務のため身体を壊し退社

 

27歳

無職の時にネットワークビジネスと出会うが、本気でやらず

営業の仕事に就く(正社員)

 

28歳

ネットワークビジネス本気でやり出す

営業の仕事は適当にこなす

 

29歳

ネットワークビジネスでは稼げないと判断し、他のビジネス探す

独立支援事業というのをやってる団体と出会い、それを始める

営業の仕事を辞めて事務職に就く(正社員)

 

30歳

独立支援事業を本気でやり出す

事務職辞める

 

31歳~35歳

いろいろあって自己破産する

 

36歳

現在に至る

 

 

 

 

最後の方は雑ですみません笑

 

 

30歳を越えてからはビジネス上手くいったりいかなかったりの波が激しかったですねー。

 

月に7桁収入GETする月もありましたし、1円も稼げない月もありました。

 

そして、最終的にはカードローンしまくって自己破産したわけです。

 

 

 

3.38歳までに自殺で死ぬ運命

 

僕は30歳を越えてから急に死を意識するようになりました。

 

なぜ意識するようになったかは僕の生い立ちのブログ読んでみてください。

 

 こちらです。

www.mamo3.net

 

 

父が自殺したのは僕が小学3年生の時。

 

父は当時38歳の若さで自殺しました。

 

僕は30代に突入するまで父の死はあまり意識してなかったのですが、30代に入った途端38歳という年齢をものすごく身近に感じました。

 

こういう自分ごとの悩みは誰にも相談するわけでもなく自分1人で抱え込んでいたので、もはや38歳までに自分は自殺して死ぬと決めつけていました。

 

それ以来、ビジネスでうまくいかなかったら

「ま、死ねばいっか」

人間関係で嫌になったら

「ま、死ねばいっか」

 

って感じでまるで自分の人生を自分ごととして捉えなくなっていきました。

 

 

4.失踪事件

 

33歳の頃、ビジネスが上手く行かなくなりカードローンしまくって借金地獄になり、当時所属していた組織の仲間たちも信用出来なくなり僕はとにかく逃げようと思いました。

 

携帯電話の電源を切り、今いる場所からできるだけ遠くに逃げて楽になりたいって思いました。

 

携帯電話の電源を切った途端、ものすごく楽な気持ちになりました。

 

お金が無い不安よりも人間関係の不安が大きかったんだと思います。

 

この頃の僕もまだ周りからどんな風に思われるかをものすごく気にしてました。

 

遠くに逃げよう。自転車でできるだけ東へ東へ。

 

持っているお金が尽きたら死のう。本気で考えてました。

 

何日かかけて、最終的には沼津まで行き(本当は東京まで行きたかったが箱根越えきつくて断念w)お金が底を尽きて2~3日野宿していたところ警察に職質をかけられ母親に連絡が行き、結局死ぬことができず家に戻りました。

 

これ、30歳越えてる人がやってることですからね笑

 

めっちゃカッコ悪いですよね笑

 

でも、僕は真剣でした。必死でした。

 

 

 

5.失踪事件2

 

その後、ビジネスから手を引き自己破産の手続きをしました。

 

お金を稼がないといけない状況だったので手っ取り早く仕事に就こうと思い派遣会社に登録。

 

すぐに仕事が見つかり、全然やりたいとも思ったことのない大手工場の製造ラインの仕事をやりました。

 

その仕事を1年半続けた頃、このまま派遣の仕事続けていて大丈夫なのだろうか?と思うようになりました。

 

というのもブログ「マモストーリー」でも書いたのですが、僕は兄と妹に対してものすごくコンプレックスがあって、人よりも稼ぎたい、立派になりたいという気持ちが人一倍強くありました。

 

兄も妹も結婚している。

 

幸せな家庭を築いている。

 

でも僕は、正社員をしているわけでもなく貯金もなく独身。

 

派遣社員を続けていてもダメだ、やはり何か大きなことしなければ。

 

そんな気持ちで、またもやいろんなビジネスを探すことになりました。

 

そして、新しいビジネスを見つけ派遣の仕事を辞めました。

 

そのビジネスを始めて1ヶ月後にはスピーカー(事業説明会でプレゼンする人)をやらさせてもらい3ヶ月後には月7桁の収入を得ることができました。

 

が、そこの代表の人と考え方があわず人間関係でものすごく悩むこととなります。(いわゆるパワハラですね)

 

結局そこからも逃げ出そうと思い、また自転車失踪事件を起こします。

 

今度は西へ西へ。

 

最終的に三重県の志摩まで行ったけど死にきれず断念。

 

僕は30歳を越えてから2度も家出をするという情けない人間なのです。

 

 

 

6.病院へGO!!

 

2度目の失踪事件から家に帰って来たとき、母親と3時間ぐらいかけて話をしました。

 

この時まで母親には言ったことのない自分の悩みや苦しみを吐き出しました。

 

父の自殺との向き合い方

兄と妹へのコンプレックス

子供の頃、我慢してた想い

本当は学校行きたくなかったこと

もっとほめてほしかったこと

 

僕も母も泣きながら話しました。

 

2人で出した結論は病院へ行くこと。

 

この頃の僕は精神的な病気持ちであることは明確だったので病院へ行くことを決意しました。

 

ただし、薬だけは絶対に飲まないと決めていました。

 

理由は兄にあります。

 

僕が25歳の時、浜松で100円ショップの店長をやっていた頃、突然母から電話がありました。

 

「マモくん、今からターくん(兄の名前)家に来れる?暴れてて手を付けられないから来てほしいの」

 

何のことかよく分からなかったけど、ただ事じゃないことは分かったのでお店のスタッフに事情を話して兄の家に向かいました

 

車で向かってるとき、震えが止まりませんでした。

 

兄は怒るとめちゃくちゃ怖く、小学生の頃は毎日泣かされていた思い出しかないです。

 

そんな兄が暴れていたとしても、喧嘩とかまるでしない僕が太刀打ちできるわけがないのです。

 

兄の家に着くと、僕の母と兄の奥さんがひきつった顔をしていました。

 

兄が僕の顔を見るなり

「なんでマモがここにおるだー!!浜松で仕事してんじゃねーのかー!!」

と怒鳴り散らしながら冷蔵庫をバンバンバンバン蹴ります。

 

とにかく状況が読み込めなかったのですが、兄は怒り狂ってました。

 

そのうち、興奮が冷めて疲れたから寝ると言って自室に戻りました。

 

母と奥さんから話を聞くと、どうやら職場でのパワハラが原因で精神を崩していたので精神病院に連れていこうとしたところ激昴したとのこと。

 

自分は正常だから病院に行く必要無いと言って暴れだしたみたい。

 

明らかに正常ではないです。

 

その後、奥さんから「マモくん、ターくんが呼んでるから部屋に行ってあげて」と言われました。

 

もう恐怖でしかないです。

 

絶対に殴られる。泣かされる。

 

震えながら兄の部屋へ行くと、兄は布団の中でシクシク泣いていました。

 

「マモ、ごめんな。俺、なんかよく分からなくて・・・・・・」

 

僕はこう言いました。

「ターくん、何も悪くないよ。病気が悪いんだよ。だから病院行こ。ちゃんとした先生に見てもらおう。」と。

 

僕の声は兄に届いたらしく、病院へ行くことになりました。

 

兄はとても真面目な性格で仕事でサボることが一切出来ない人間だったようで、出向先の慣れない環境でパワハラを受けていたようでした。

 

そのことを誰にも相談出来ず爆発したようです。

 

「躁鬱(そううつ)病」と診断されました。

 

冷蔵庫をバンバン蹴って激昴していた時が躁(そう)の状態で布団でシクシク泣いていた時が鬱(うつ)の状態だったみたいです。

 

その後、1年ぐらい入院をし職場にも復帰。

 

今はサボることを覚え、結構気楽に仕事してます。

 

が、薬はいまだに服用しているようです。

 

 

 

話を僕の話に戻しますね。

 

僕は病院に通うことを決意しましたが、薬だけは飲みたくなかったです。

 

それは兄が薬で治療していく過程の中でどんどん薬が増えていくのを見てたからです。

 

なので、僕はカウンセリングだけの治療法をお願いしました。

 

またまた派遣の仕事をしながら、病院に9ヶ月ぐらい通いカウンセラーにいろんなことを話しました。

 

今ではすっかり精神的にも落ち着いてきて、元気いっぱいなので心配しないでください笑

 

 

 

7.結論「僕が貯金しない理由」

 

で、僕が貯金しない超ダサい理由は

 

お金持ってて精神を崩すと自転車で逃避行するから

 

です。

 

 

はい、超ダサいですね!笑

 

 

 

 

8.これからは貯金する

 

さて、僕の超恥ずかしい過去をさらけ出したことにより僕はかなり強くなれたと思います。(本当かよw)

 

僕には夢があります。

 

夢についてブログ書いてるのでよかったら読んでください。

 

www.mamo3.net

 

 

この夢を叶えるためには自由な時間と自由なお金が必要です。

 

その為に今のうちからしっかりお金を蓄えて、周りの大切な人たちを笑顔にしていきます。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

マモストーリー

こんにちは。

「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。

 

過去に「マモさんの生い立ち」と題して第6弾までブログを書きました。

 

今回のブログはそれら全てを網羅した完全版になります。

 

僕が生まれてから大学卒業までの22年間をまとめてあります。

 

ぜひ、最後まで読んでください。

 

それでは、どうぞ!

 

 

 

フルネームは池田守。1982年2月1日愛知県岡崎市にて体重4030gの巨児として生まれる。

 

兄弟は兄1人、妹1人。3人兄弟の真ん中。

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小さい頃からパズルや数字が大好きだったらしく、2歳の時に父が2進法を教えたところマスターしたという話を母から聞いたことがある。

 

幼稚園に入った時にはひらがなの読み書きができていたらしく、周りの園児が子どもっぽすぎて嫌だと常にぼやいていたらしい。(めっちゃ嫌なガキだwww)

 

僕の小さい頃の写真は極端に少ない。

 

兄は長男であり、父と母にとっては初めての子供。必然的に写真をたくさん撮るのでアルバムもたくさんできる。

 

妹は待望の女の子ということで必然的に写真をたくさん撮るのでアルバムもたくさんできる。

 

僕の小さい頃の写真が極端に少ないのは必然なのだ。

 

小学校低学年のころまでの記憶はほとんどない。それは小学3年生の時に起きたある出来事のせいで記憶がほとんど抹消されたからに違いない。

 

その出来事とは…。

 

 

 

あと一週間で僕が9歳を迎える1月下旬のころ、一本の電話が鳴り響く。

 

母がその電話を取り、電話を切ったあと「今から私は出かけるね。今夜は安城のおじいちゃんと、おばあちゃんが来るから一緒に過ごしてね」と言った。

 

その日は隣の市である安城市に住んでいる母方の祖父母が家に来た。

 

その日、父は出張中だった。父は九州の福岡県直方(のうがた)市出身で高校を首席で卒業し集団就職三菱自動車の岡崎工場に来たらしい。

 

高校首席ということで相当優秀だったみたいで、父の部屋にはパソコンが置いてありプログラミングを打ち込むのが趣味だった。

 

当時、パソコンを使いこなせる人はあまりいなかったと思う。

 

バブル全盛期の三菱自動車はきっとイケイケだったに違いない。

 

僕が小学校に入る前までは三菱の社宅に住んでいたが、妹が生まれる前後には夢のマイホームに引越しをしていた。

 

マイホーム、子供は3人、安泰の自動車会社に勤務。そこそこ裕福な家庭だったんだと思う。

 

そんな父は会社でも優秀だったに違いなく出張も多かったので、その日に父がいないことは特に違和感もなく日常的なことだった。

 

先程から僕の表現が気になっている読者がいるかもしれない。

 

父のことに関して「〇〇だったみたい」とか「〇〇らしい」という表現をやたら使っているのには訳がある。

 

母が帰ってきたのは1日後だったか、2日後だったか記憶にない。

 

次に記憶している場面はお通夜の日のことである。そう、父は出張先で死んでいたのである。

 

出張先の新潟で車の中で死んでいたと聞かされた。僕は勝手に交通事故で死んだものだと解釈した。

 

当時のお通夜事情はよく知らないが、父のお通夜とお葬式は自宅でおこなった。

 

お通夜の日に父方の祖母がきていた。

 

僕は福岡のおばあちゃんはとても苦手だった。なんか暗いというか不気味というか、かなり高齢だったので当時の僕には怖い印象しかなかった。

 

それに対して母方である安城のおばあちゃんはいつもニコニコしていて優しくて明るくて大好きだった。

 

お通夜の日は知らない大人たちがたくさん来ていてとても怖かった思い出しかない。

 

父は5人兄弟だか6人兄弟の末っ子で、お通夜には当然その兄弟たちが集まっていた。

 

僕から見たら叔父さん・叔母さんである。

 

1人か2人かは会ったことあるけど、他の人は全く面識がない。

 

池田家の親戚との付き合いはこんなものだった。

 

お通夜の記憶はほとんどないが、葬式の日はいろいろ覚えている。

 

僕が幼少期で1番記憶に残っているのはこの父の葬式の日である。

 

その日はとても天気が良かったのを覚えている。

 

自宅で葬式をするのだが、とりわけ家が大きいわけではないので庭に面している和室の窓ガラスを全部取っ払って解放して庭でお焼香をするスタイルがとられた。

 

お坊さんが和室でお経を唱え、参列者は狭い庭でお焼香をする。いつも生活している見慣れた家の風景はそこにはなかった。

 

黒い服の大人たちがたくさんいて、僕は小学校入学式にきるような着慣れない服を着ていてよくわからないけど正座して見よう見まねで数珠を持っていた。

 

安城市に住んでいる僕の親戚の2人姉妹も来ていた。長女のえりなちゃんと次女のまりなちゃん。

 

えりなちゃんは僕が生まれた次の日つまり2月2日生まれで、生まれた病院も同じだった。

 

そんな同い年のえりなちゃんは僕から見たらちょっと大人びていて、葬式の意味とかちゃんと分かっていたように思えた。

 

えりなちゃんは僕を励ますように「マモくん、泣いちゃダメだよ」と言わんばかりの顔をしていた。

 

参列者の中には僕の担任の先生と学級委員の男の子と女の子も来ていた。

 

女の子の方は誰だったか思い出せないが、学級委員の男の子はようちゃんという子だった気がする。

 

ようちゃんは僕の方を見ながらずっと笑顔だった。

 

「なんかいつもと違う雰囲気で面白いね。悲しくなんかないよ。大丈夫だよ」

僕にはそういう風に言ってる笑顔にしか見えなかった。

 

今思えば、担任の先生が「きっと守くんはお父さんが亡くなって悲しんでいるだろうから笑顔で守くんに会いに行こう」とかそういう感じのことを学級委員に伝えていたのかもしれない。

 

僕が強烈に覚えていることはこの2つのこと。えりなちゃんとようちゃんのことだ。

 

兄や妹がどんな表情だったのか?喪主をつとめた母がどんな感じだったのか?父と最後に何かことばを投げかけたのかどうか?そんなことなんて1ミリも覚えていない。

 

僕が強烈に覚えていることは「泣いたらダメだ!」ってことだった。

 

父が死んで悲しかったかどうかも覚えていないぐらい強烈かつ鮮明に僕の全身全霊に刻まれた。

 

この日から僕は自分の素直な感情を出してよいのかどうかが分からなくなった。

愛想笑いが上手くなった。

本心が言えなくなった。

自分の感情を押し殺して相手が満足する態度をとるようになった。

とても気をつかうようになった。

自分自身の人生を自分ごととして捉えられないようになった。

 

父が死んだことは特に何でもないことだったように振る舞うようになっていった。

 

 

僕の通っていた小学校は、小学校4年生に進級すると部活に入らないといけない決まりになっていた。

 

僕は小さい頃から運動があまり好きではなく家でファミコンをやるのが好きな男の子で、常に肥満児体型を維持していた。

 

それでも俗に言う「動けるデブ」ってやつで、50m走もそんなに遅くはなかったし、たまにやる草サッカーでも活躍する方だった。

 

部活を決める時、真っ先に入りたいと思ってたのはサッカー部だったがサッカー部志望の子たちはほとんど子供会とかでやってるサッカー少年団に所属している子たちばかりだった。

 

僕はサッカー部を諦めた。

 

理由は2つ。1つはサッカー少年団に入ってない奴なんかきっと受け入れてくれないに決まっていると思ったから。もう1つは「デブのくせにサッカー部にきたぜあいつ!」ってからかわれるに違いないと思ったからだ。

 

この頃から、自分のやりたいという意思を完全に押し殺して、周りの人たちがどういう風に感じるかを察知して物事を決めるようになっていた。

 

結局、運動の出来ない子達が集まる科学部という文系の部活に所属することに決め、母には科学部に入りたかったと報告した。

 

 

小学校4年生になってもう1つ大きく変わったことがあった。

 

それは兄の不登校だ。

 

3つ年上の兄は父が死んだ時小学校6年生で多感な時期だったんだと思う。

 

実際、父の死後は学校を休みがちになり中学に上がる頃には完全に不登校の状態になっていた。

 

結局兄は中学3年間1日も学校に行かなかった。

 

一方僕はというと、学校に行き続けた。

 

その間、兄は中学には行かなかったが不登校児を集めた学童保育(?)みたいなところにちょくちょく通うようになっていた。

 

それは家から遠かったのでいつも母が車で送り迎えしていた。

 

どんなことをしていたかは知らないけど夏休みのシーズンには山にキャンプに行ったりしていてそっちで友達もできているように見えた。

 

僕はそれが嫌だった。僕は一生懸命毎日学校に行って勉強とか頑張ってるのに兄は中学に行かずに遊んでいるって思っていた。(実際はどうだったのかは知らないけど)

 

母と過ごす時間は圧倒的に兄の方が多くて、僕は家の中でもわがまま言ったりしないようにしてなるべく母の負担を減らすように心掛けていた。

 

だから僕は、不登校の兄の姿を見て自分はそんな風になりたくないと常に心に言い聞かせてた。

 

でも本当に思ってたことは、もし自分が不登校になったら周りの人から「あそこの家は兄弟そろって不登校なんだよ」って言われるんじゃないかっていうのが嫌だったからだ。

 

そうなったら母が傷ついてしまうんじゃないか。

 

常に僕は周りにどう思われかを気にして生きていたのである。

 

 

学校で起きた出来事は家ではほとんど話さなかった。それは不登校の兄に気をつかっていたから。家で勉強するのも極力避けた。

 

この頃から宿題をやらない子になっていた。

 

ただ、授業は必死に聞いていてテストはほとんど満点をとっていたと思う。

 

小学校高学年のことはこれといって楽しい思い出もなかったし、あまり覚えていない。

 

唯一強烈に覚えているのは小学校6年生の時の三者面談のこと。

 

担任の先生にこう言われた。「守くんはとても記憶力が良いです。テストの点数が良いのは記憶力のおかげです。でも中学に入ったらきっと記憶力だけでは限界がくると思うのできちんと予習と復習をするようにしてください。」

 

この担任の先生の言葉通り中学に進学してから勉強に手こずるようになった。

 

 

中学に入学したとき、また大きな変化が起きた。

 

兄が高校に行き始めたのである。

 

中学3年間学校に行かなかったのに高校に行けるんだ!ってものすごくビックリした記憶がある。

 

定時制の高校で、しかも昼間部がある高校だった。

 

兄はもともと運動神経抜群で小学生の時は選抜陸上部に所属していた。

 

この選抜陸上部とは何かというと、僕と兄が通っていた小学校は常設の陸上部が無くて、サッカー部とかバレー部とかの運動神経抜群の人たちが集められて選抜陸上部を兼任する形をとっていたのだ。

 

兄は高校に入るとサッカー部と陸上部を掛け持ちして、陸上部では定時制の全国大会に出場するほどだった。

 

兄の高校生活のことは何にも聞いてないので分からないが部活を2つ掛け持ちするぐらいだったから人気者だったんだろう。

 

その証拠に、兄は高校3年間皆勤賞だった。中学3年間1日も登校しなかった人が高校3年間皆勤って、相当充実した高校生活を送っていたに違いない。

 

一方僕はというと、中学に進学して最初の中間テストで相当なショックを受けた。

 

小学校の時はテストは満点ばかりだったから、中学でも満点に近い点数を取れるだろうと余裕ぶっこいていたのだが、蓋を開けてみたら散々な結果だった。

 

8クラスあって全部で300人ぐらいの学年だったんだけれども、最初の順位は120番ぐらいだった。

 

小学校6年生の担任の先生の予言通りだった。記憶力だけでは限界だった。

 

それからは勉強自体があまり好きではなくなり、上の順位を目指すこともなかった。

 

中学2年生の頃、また大きな変化が起きた。

 

4つ年の離れた妹が不登校になったのである。小学校4年生の頃だ。

 

不登校になった理由はよく分からないが、上の兄を見て不登校でもいいんだって思ってたのかもしれない。

 

小学校6年生ぐらいから不登校になって中学3年間不登校だった兄。小学校4年生から不登校になった妹。その間で普通に学校に行く僕。

 

そんな3兄妹を女手一つで育てた母親はとてもよくできた人だ。

 

母はこの3人を決して比較することはなかった。

 

マモくんはちゃんと学校行ってるんだからあんたも学校に行きなさい!なんてことは一言も言ったことがない。

 

あなたが学校に行きたくないなら仕方ない。無理に行かなくてもいいんだよ。マモくんはマモくん。あなたはあなた。

 

そんな教育方針だった。

 

とてもよくできた母親だと思う。

 

 

 

でも、僕はすごく嫌だった。

 

頑張って学校に行ってる僕を誉めてほしかった。兄と妹と比較してほしかった。兄と妹よりも勉強ができることを誉めてほしかった。

 

この頃の僕は「兄と妹みたいには絶対にならない!」「あいつらの未来にはまともな人生なんて待ってないに違いないんだ!」「僕みたいにちゃんと学校行って勉強してる人が報われるんだ!」って毎日思っていた。

 

中学3年になり高校受験の日が近づいてきた。

 

僕の成績はオール3に少し毛が生えたぐらいの成績で、特に成績優秀でもなければ落ちこぼれということでもなかった。

 

ただ私立の高校だけは絶対に入りたくなかった。

 

理由は単純。池田家の経済状況のことを考えたら私立高校には入れないと思っていたからだ。

 

話は少し変わるが、僕は小学生の頃から女性の先生には気に入ってもらえる傾向にあった。

 

今思えば、普段から毎日ニコニコしてたし(ほぼ作り笑いだったけど)挨拶とかもしっかりする(周りからの評価を人一倍気にするから)生徒だったので気に入ってもらいやすかったのかもしれない。

 

中学3年の時の担任の先生は杉山先生という女性の先生だったが、ものすごくえこひいきしてもらっていた覚えがある。

 

というのも、僕は宿題を全然出さない生徒だったのだが杉山先生にはあまり怒られた記憶がない。

 

僕と同じように宿題をしてこなかった玉木くんは毎日こっぴどく叱られていた覚えがある。

 

とにかく僕は杉山先生には気に入ってもらえていたことには違いないと思う。

 

ある日、杉山先生に呼び出されてこんなことを言われた。

「高校受験の推薦枠で母子家庭枠というのがあるんだけどマモルくん、これ使ってみる?」

 

え?そんなのあるんの?

 

この母子家庭枠を使うと筆記試験無しで面接だけで合格がもらえるらしく、1つの中学校から1〜2人のこの枠が与えられるとのこと。

 

この頃勉強にあまり自信なかったので迷わずその母子家庭枠を使うことにした。

 

しかも自分の学力にあった公立高校を選べるとのこと。

 

僕は2つの高校で迷っていた。

 

少し背伸びをすれば入れそうな岡崎西高校と今の学力で十分入れる岡崎東高校。

 

で、僕が選んだのは後者の岡崎東高校。

 

なぜか?

 

苦労して岡崎西高校に入ったとしても高校生活ではきっと学力テストでドベの方になっちゃうんだろうなぁと。

 

岡崎東高校だったら順位は上位にいけるんじゃないかなぁと。

 

この頃からなんとなくこんな思考が身についていて極力努力をせずに楽する選択を選ぶようになっていた気がする。

 

そして、高校受験は面接だけであっさり合格し無事岡崎東高校に入学できた。

 

で、高校の思い出はというと・・・。ほんっとになんもない。

 

部活も適当、勉強も適当、友達関係も適当、恋愛は皆無wwwそんな超平凡な高校生活だった。

 

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高校3年生の時の僕。友達いなさそうな顔してるwww

 

 

高校入学時にはいわゆる高校デビューってやつをしてみようかと企んではいた。

 

小学生、中学生の時は全く目立つ要素がない子だったけど心の中ではみんなからチヤホヤされる人気者になりたかった。

 

だから高校入学したらキャラチェンジをして人気者になりたいなぁと密かに思っていた。

 

しかしすぐに断念した。

 

というのも同じ中学の同級生も多かったため「マモル、高校デビューとかしてんじゃん」とか「中学の時とキャラ全然違くね?」とか言われるのが嫌だったからだ。

 

とにかく人の目を気にする性格だった。

 

適当な高校生活を送っていたものの一応、当初の思惑通り学力テストでは上位にいることができ国公立大学を目指す進学クラスには属していた。

 

しかし、特に目標もなくダラダラと過ごしていた。

 

大学受験はセンター試験を受けたが国公立大学は全て不合格で、滑り止めで受けた私立大学の愛知大学は合格。南山大学は補欠合格していた。

 

補欠合格とはいわゆるキャンセル待ちみたいなもので、当時の担任の先生からは補欠合格はたいてい合格になると教えられた。

 

が、不合格だった。この時から少し大人に対して不信感を抱くようになった。

 

滑り止めで合格した愛知大学に行くか、浪人するかで迷っていた。

 

私立の大学だけは絶対に入りたくなかった。

理由は単純。池田家の経済状況のことを考えたら私立大学には入れないと思っていたからだ。

 

ところが、母親からこんな提案が来た。

「実は母子家庭枠で市役所から奨学金が出るの。しかも利子は無くて大学卒業後最大10年返済できるから愛知大学行っても大丈夫だよ」

 

またしても出てきた母子家庭枠!

 

僕は浪人するのはめんどくさいと思ったので愛知大学に進学することを決意。

 

この頃は何にも考えず奨学金をゲットして大学に進学したんですが、今思えば父親の死があったからこそこういう優遇を受けていたんだなぁと感じている。

 

中学・高校時代は、父親はいなくて当たり前だったし、もしも父親がいたら・・・なんてことも考えることすらなく過ごしていた。

 

でも間違いなく何にも苦労せずに高校、大学と進学をできたのは父親のおかげだった。

 

そして、いざ愛知大学へ!

 

僕はウキウキしていた。

 

なぜなら高校デビューできなかったリベンジを大学デビューで果たそうとしていたからだ。

 

岡崎東高校から愛知大学豊橋校舎)に進学したのは僕を含めて5〜6人ぐらいだったので、キャラチェンジをしても大丈夫だと確信した。

 

僕はとにかく大学生になることにワクワクしていた。

 

いや正確に言うと、高校生までの自分のことを知ってる人がいない世界に飛び込むことができることにワクワクしていた。

 

大学生になれば、周りは僕の過去を知らない。

 

大学生デビューしてやろうと思っていた。たくさん友達作ろうって思っていた。

 

入学式の日のためにいろいろ予習をした。

 

大学までは自宅からJR岡崎駅に行き、そこから豊橋駅で乗り換え。豊橋駅からは豊橋鉄道(通称とよてつ)で乗り換えて大学前駅というところで降りれば目の前に愛知大学はある。

 

入学式は大学構内ではなく豊橋文化会館で行われることもチェック済。駅を降りたら大学とは反対側に歩いていけばOK。

 

事前に全てのことはチェックしてある。完璧だ。

 

そして、いよいよ入学式の日。気合いを入れて家を出る。

 

事前にチェックしてあった予定通りの時刻の電車に乗る。順調だ。

 

豊橋駅に到着し、とよてつに乗り換える。順調だ。

 

とよてつに乗ろうとした時だった、何かものすごく違和感を感じる。

 

ん?なんだろう?この違和感。。。

 

辺りを見回してみてその違和感の正体はすぐに分かった。

 

 

 

 

みんなスーツ着てる!!!

 

 

 

 

僕はというと超私服なのである。どこからどう見ても超私服なのである。

 

なんなら少し張り切ってちょっとオシャレをしている超私服。。。

 

「ねえ、神さま、大学の入学式ってスーツで行くんですか?教えてください。」心の中でそう叫びながら満員電車の扉は閉まり僕を大学まで運んでいく。

 

大学前駅を降りると私服姿の数人がそそくさと大学の正門を通っていく。

 

大多数のスーツ集団は正門とは逆の方向に流れていく。

 

とっさに僕は頭をフル回転して次に取るべき行動を考えた。

 

私服姿の人達はきっと新入生じゃなく2年生以上の人達だ。僕は私服だ。スーツではない。つまり新入生ではない。よし!正門に行こう!

 

ということで入学式が行われる会場ではない大学構内に入り、しばらく時間を潰して逆方向から来た電車に乗って自宅まで向かった。

 

実はこの時、自分の中でめちゃくちゃ悔しい気持ちがあった。

 

入学式に行けなかったことの悔しさではない。

 

実は、私服姿で来てしまった新入生もちらほら会場に向かっているのを目撃していたのだ。

 

でも私服姿で来たことを誰かにからかわれるんじゃないか?とか、変な目で見られるんじゃないか?という周りの目を気にして入学式の会場に行けなかったことが悔しかった。

 

結局いつまで経っても周りの目を気にしているヘナチョコ人間なんだと自分を責めてしまっていた。

 

あれだけ気合い入れて大学デビューを果たそうと考えていたが、初日から大きくつまづいてしまうこととなった。

 

ちなみに入学式は通過儀礼的な記念式典みたいなもので、出ても出なくても大丈夫なイベントのようだった。

 

翌日からはオリエンテーションと称した大学での授業の取り方の説明や必須科目の語学クラスに分かれての説明会などがあって、いろんな人と喋る機会はあったが、この頃の僕は喋るのがそんなに上手くなかったので友達は全然できなかった。

 

あと、この頃の携帯電話事情はというともちろんスマホなんてものは存在していなくて、みんな折り畳み式のガラケーを使っていた。

 

LINEとかTwitterなんてあるはずもなく連絡先交換するには電話番号を交換するかメールアドレスを交換するしかなかった。

 

結局語学クラスが一緒だった男の子2人とは電話番号を交換したが、友達というよりかは社交辞令で交換したって感じだった。

 

やばい。このままだと高校までの生活と何にも変わらない。いや、むしろ高校までであれば気軽に話せる人は数人いた。大学4年間もっとみじめな自分で過ごすハメになるかもしれない。なんとかせねば。

 

僕に残された道は1つしかなかった。

 

どこかサークルに入ろう!!

 

しかし、ここでも大きな誤算が。

 

語学が一緒の社交辞令お友達が教えてくれたのは、サークル勧誘が1番大盛り上がりしたのは入学式の日だったということ。

 

 

 

 

 

 

 

終わった

 

 

 

 

 

というのもサークル勧誘するとき、先輩たちが新入生勧誘する際の目印はスーツ姿かどうかということらしく、大きなチャンスは入学式当日だったのである。

 

そんな大チャンスを逃した僕は途方に暮れていた。

 

オリエンテーションも落ち着いて来た頃、サークル勧誘しているサークルは日に日に少なくなり、サークルに入ること自体難しくなっていた。

 

自分が入りたいサークルに自分から声をかければ済む話なんだけど僕にはそれができなかった。

 

そんな時こんな声が聞こえてきた。

「クイズ愛好会主催の新入生限定1万円クイズ大会やってるよー!遊びに来てねー!」

 

ん?何だそれ?クイズ?

 

僕はテレビ番組の中でもクイズ番組は好きだった。アタック25マジカル頭脳パワー、クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!、100人に聞きました、ヒントでピントクイズ年の差なんて・・・(若い子は全然知らないだろうなぁw)

 

クイズにはまぁまぁ自信があったので参加して見ることにした。

 

受付では名前、学部、住んでる地域、意気込みを書く欄があった。

 

住んでる地域のところに「岡崎市」と書くと、受付をしていた背の高い男性が「え?マジ?俺も岡崎!」と声をかけてくれた。

 

その男性に「あの〜、意気込みの欄って何て書けばいいですかねぇ?」と聞くとその男性はニヤニヤしながら「がんばりんこ!って書けばいいよ〜」と言って笑い出した。

 

この時、僕の中で何かが弾けた。これは千載一遇のチャンスだと悟った。

 

僕は無言で意気込みの欄に「がんばりんこ!」と書いた。

 

先程の男性は一瞬あっけにとられて鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、大きな声で「こいつおもれぇ〜!本当に書きやがった!」と言って腹を抱えながら大笑いした。

 

僕はキタ!!!って思った。

 

笑われたのがめちゃくちゃ快感だった。

 

高校までにはなかった自分の殻が破れた瞬間だった気がする。

 

その後、僕の苗字が池田だということを知り速攻でラッキーというあだ名をつけられた。

 

そして、クイズ大会が始まった。

 

新入生限定のクイズ大会とは言え、入学式から1週間ほど経っていたので参加者は僕以外ほとんどサークルに入会している人達だった。

 

アウェイな空気だったけど僕は1位になる自信はあった。

 

しかし、早押しがめちゃくちゃ速い女の子がいてその子には負けてしまい結果は2位。

 

ベスト3になった人にはインタビューがあって大会の感想を言ってほしいと言われた。

 

この時、僕は頭をフル回転してどういうことを言ったらこの会場にいる人たちが盛り上がるか考えた。

 

こういう時でも自分の本心は後回しで周りの人達がどういう目で自分のことを見るのかを気にしてしまう。めんどくさい性格だ。

 

そして出てきた言葉がこちら。

 

 

 

「クイズ愛好会に入ります!」

 

 

 

僕の予想通り会場は大盛り上がりだった。

 

こんな感じで僕のサークル生活がスタートするのであった。

 

 

大学生活を振り返るととにかく楽しかった思い出しかない。

 

いや違う。楽しかったというよりも、この頃はプレッシャーとか悩みとかがほとんどなかったと思う。

 

いや違う。悩みはあったがその悩みは無理矢理なかったことにしていたんだと思う。

 

悩みを無理矢理なかったことにできたのは、初めて彼女ができたことに尽きる。

 

無事にクイズ愛好会というサークルに入った僕は3ヶ月後に初めての彼女ができた。

 

お相手は同じサークルのSさん。

 

大学4年間ずっと彼女と付き合っていて恋愛関係では特に悩みはなかった。

 

彼女との出来事(いろいろありましたwww)はいつか「マモさんの女性遍歴」というブログで紹介したいと思う。乞うご期待!www

 

ではどんな悩みがあったのか?

 

僕の悩みと言えば家族のことである。

 

僕が高校生の頃に話は戻るが、その頃3つ年上の兄は専門学校に通っていてバイトもしていて家に帰るのが遅い日が多々あった。

 

その度に母は兄が帰ってくるまで必ず起きていて帰ってくるのを確認してから寝る毎日を送っていた。

 

でも僕の時は違った。

 

僕が通っていた大学は愛知県の豊橋市というところにあって、僕が住んでいる岡崎市から電車で小一時間ぐらいかかるところにある。

 

サークル室は24時間解放されていて大学構内は夜中でも人がいるような大学で、夜中は軽音部とかがガンガンに音楽を奏で、社交ダンス愛好会は夜中でも踊っていた。

 

そんな自由度の高い大学だったので、僕は終電ギリギリまでサークルを楽しみ、終電で帰る日々が続いた。

 

家に帰るのはたいてい日にちが変わっている。

 

が、僕が帰ってくる頃母はもう寝ていた。

 

母曰く「マモくんは危ないことやいけないことすることは、絶対ないだろうから特に心配してない」とのこと。

 

そう。僕はそういう風に見られているのだ。

 

不登校の兄や妹と違ってきちんと学校に行き進学をし優等生なのである。

 

そして、僕は優等生でいなければならない。そんな感覚だった。

 

だんだんと家に帰るのも嫌になってきた僕は次第に終電を逃して家に帰らずに徹クイをすることが多くなってきた。
※徹クイとは徹夜でクイズをすること

 

さらに彼女の家に泊まったりすることも多くなり、家に帰らない日が多くなってきた。

 

最初のうちは家に帰らない日は必ず母に連絡をしていたが、だんだんそれすらもなくなり家に帰る日に連絡するようになっていた。

 

最大10日間ぐらい帰らないこともあって、さすがにその時は母からメールが来た。

 

「生きてる?」

 

たった4文字の素っ気ないメール。僕の返信は

 

「なんとか」

 

僕も4文字で返す。

 

この時の僕の心境としては、母親には愛されてないのかなぁって思っていた。

 

3兄妹の中で1番愛されていないんじゃないかと思っていた。

 

でも、今思えばこの「生きてる?」にもきちんと意味があったのかもしれない。

 

父が死んだことに対して、母は、息子が生きてるのを確認するだけでも安心だったのかもしれない。

 

この4文字メール事件の前か後ろかは覚えていないが、我が家ではこんな事件が起きていた。

 

僕がいつも通り夜遅くに家に帰ってくると、電気がついていないリビングで母が号泣していた。

 

どうしたの?と聞いてみたところ原因は妹だった。

 

4つ下の妹は僕が大学1年生の時、中学3年生。

 

妹は小学4年生から不登校で中学は1日も登校していない。

 

妹のすごいところは不登校であるにも関わらず同級生たちと仲良く遊ぶこと。

 

そんな中、妹はある事件を起こした。

 

万引きである。

 

どうやら悪い同級生にそそのかされ、万引きに加担してしまったそう。

 

妹は万引きなんてしたくなかったそうだ。

 

母の説明を聞きながら僕は「ふーん」と興味ないリアクション。

 

母はお店まで行き、お店の人に謝って特に大きな事態にはならなかったみたいだが、その後が大変だったらしい。

 

兄が激昂したのだ。

 

妹の髪を引っ張って父の仏壇の前まで連れて行き、「お父さんに謝れ!」とわめき散らしていたらしい。

 

兄はとても真面目だが、キレると本当に怖い。

 

それを見ると僕が幼い頃にかすかに記憶している父がキレたときの光景がフラッシュバックする。

 

そういうところは父と兄は似ているとずっと思ってた。

 

兄はきっと父の代わりをしたのだと思う。

 

もし父が生きていたら妹を怒鳴り散らす。万引のような犯罪を我が家の人間は決してやってはいけない。

 

だから父に謝れ!って怒鳴ったのだと思う。

 

そんな話を聞いても僕は「ふーん」という素っ気ないリアクション。

 

その後、母はこんなことを言い出した。

 

 

「私、マモくんにお父さんの死因ってちゃんと話したことあったっけ?」

 

 

この時も前の「ふーん」と同じぐらいのテンションで「たぶん聞いてない」と答えた。

 

母は続けて泣きながらこう言った。

 

 

「お父さんの死因はね、自殺なの」

 

  

 

 

薄々気付いていた。 

 

でもその時まで母にお父さんの本当の死因について聞いたこともなかったし、聞いてはいけないものだと思っていた。

 

死因が自殺だと聞いても僕は無関心な感じで「ふーん、そうなんだ」と他人事のように返事をした。

 

妹が万引きに加担をし、兄が妹を激昂し、母がリビングで号泣している。そんな状況を僕は他人事のように見ていた。

 

この頃、僕は完全に家族というものに関心がなくなっていた。

 

それは、小学生から高校生まで自分を押し殺して過ごしていた苦痛な毎日が大学生になった途端に恋人ができ楽しい時間を過ごせる毎日に変わりもう家族のことを考えるのは嫌になっていたからだと思う。

 

お父さんはお父さん。僕は僕。

全く別の人なんだから、今さら死因が自殺だと聞いて僕は何を思えばいいんだよという気持ちもあった。

 

兎にも角にも、この時の僕はお父さんの死因に動揺するどころか無関心だったのだ。

 

 

 

それよりももっと僕の心をえぐるような出来事が1年後に起こる。

 

僕が大学2年生の時の8月にそれは起こった。

 

その頃、3つ上の兄は専門学校を卒業して地元の自動車関係の会社に就職していた。

 

妹はというと年齢的には高校1年生になっているはずの年齢。

 

だけど小学校4年生から不登校で中学3年間も不登校

 

兄と違って高校に進学せずに毎日家にいた。

 

さすがの母もこの時ばかりは妹の今後について心配もしてた。

 

ある日妹は母に「これにお母さんの名前書いてって言われたから書いて」と言い、ある紙を差し出した。

 

その紙は履歴書だった。

 

妹は8月の自分の誕生日の日に、母に何も言わずにコンビニのアルバイトの面接に行ってきたのだという。

 

アルバイトの募集が16歳以上だったので誕生日を迎えるまで動き出せずにいたらしい。

 

履歴書の書き方とかも自分で調べて、自分の意志でコンビニまで行ったみたいだ。

 

で、履歴書には18歳未満は親の同意のサインが必要でアルバイト先のコンビニの人から同意のサインをもらってきてと言われて母に履歴書を見せたのだ。

 

この後、面接に合格して妹はアルバイトを始めることになる。

 

 

 

この時僕は絶望に近い感情が溢れ出した。

 

年齢が3つ上の兄が僕より先に社会人としてお金を稼ぐことは仕方がないと思っていたが、まさか4つ下の妹が自分より先に社会人としてお金を稼ぐなんて思ってもみなかったのでものすごくショックだった。

 

小学生から高校生までの間、兄や妹みたいになんか絶対にならない!真面目に学校に通っている僕は将来2人に負けないような幸せな暮らしをしてやる!お金だって一番稼いで三兄妹で一番立派になってやる!ってずっと思っていた。

 

なのに妹に先を越されてしまっというなんとも言えない敗北感のような気分になり、自分に自信がなくなっていた。

 

僕は大学生になってからバイトはせずに母からお小遣いをもらって大学に通っていて、授業よりもクイズサークルに没頭して毎日遊んでいるような生活をしていた。

 

大学2年になっても就職のことなんて全く考えてなくて楽しいことに流されていた。

 

僕はずっとアリとキリギリスだったらアリだと思っていた。兄や妹はキリギリスだと思っていた。

 

毎日毎日、一生懸命学校に通い将来のために勉強していればいい暮らしができると思っていた。

 

ところがキリギリスだったはずの兄と妹の方が先にお金を稼ぎ、アリだった僕が置いていかれてしまったのでは?という気持ちになっていた。

 

大学ではろくに勉強もせずに遊び呆けていたので自分こそがキリギリスなのではないかと自分を責めるようになってしまっていた。

 

この頃の僕にとって「お金を稼ぐ」ということははるかに難しいものだと思っていた。

 

というか「怖い」というイメージに近かったのだと思う。

 

そもそも大学に進学した時も、就職してお金を稼ぐ感覚が分からないし怖いからとりあえず進学しとくかという感じで大学受験をしていた。

 

今思えばその頃の僕は、心の奥底で就職するということは父親みたいに自殺をする要因になるのではと無意識に感じていたかもしれない。

 

だからバイトするのもなんとなく避けて大学生活を送っていたのだと思う。

 

兄や妹に対するコンプレックスはどんどん強まる中、それを吹き飛ばすように僕は大学生活(主にクイズサークル)に没頭した。

 

大学の授業で学んだことなんて今ではほぼ忘れてしまうぐらい適当に受けていたが、単位だけは器用に取っていたので、大学3年生の頃には自由な時間も少しでき始めた。 

 

なので僕も初バイトとして家庭教師をするようなり、その後ガソリンスタンドのバイトをするなどしてお金を稼ぐことにありつけた。

 

「怖い」というイメージは全然なく、どちらかというと楽しく仕事できていたと思う。

 

大学3年生後半からは就活が始まった。

 

就職先は全くもって真剣に探す気がなかった。

 

この頃の僕は家族に対しては全くもって自信がなかったが、クイズサークルの中では仕切り役をやったり、人と話すのが得意だったり、単位も簡単に取っていたので対外的には自分に自信が持てていた。

 

なので就職先は正直どこでもよかったし、どの企業に行ってもそれなりに活躍できると自負していた。

 

結局、就活として3社面接に挑み、3社とも合格。

 

これ以上就活するのはめんどくさいと思って3社の中で1番面白そうな100円ショップの企業に晴れて就職することになる。

 

~完~

 

 

 

この後、就職しサラリーマンとして4年半働いたあと転職をしいろんなビジネスに手を染めていきます笑

 

その辺りの話は、またちょくちょくブログに上げていこうと思ってますのでよろしくお願いします。

 

いかがだったでしょうか?

 

Twitterやレターポットでブログの感想を送っていただけるととても励みになります。

 

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

夢は【MSNS】と【TDFK47】

こんにちは。

「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。

 

今日は「夢は【MSNS】と【TDFK47】」について書きたいと思います。

 

それでは、どうぞ!

 

 

 

 

 

1.MSNSって何?

 

今回のブログのタイトルは「僕の夢は【MSNS】と【TDFK47】」です。

 

意味分からないですよね?笑

 

ということでまずは【MSNS】をご説明しましょう。

 

MSNSとはMamoSan Networking Service の略です。

 

要するにマモさんのSNSという意味ですね笑

 

これからの時代、僕は人自体がエンターテインメントになると考えています。

 

僕はこれを勝手にヒュンタメ(ヒューマン+エンターテインメントの造語)と言っています。

 

エンターテインメントをWikipediaで調べると人々を楽しませる娯楽となっており項目として

音楽

お笑い

腹話術

ものまね

マジック

映像

演劇

サーカス

アダルトビデオ

読書

ゲーム

スポーツ

遊園地

ラジオ

新聞

雑誌

インターネット

模型

同人

ゲームセンター

ギャンブル

おもちゃ

が挙げられています。

 

また、元々の意味としては見せ物、出し物、余興などを指す言葉であったと書かれています。

 

ここに加わるのが「人」になると思っています。

 

これからの時代は「人」自体がエンターテインメントになるのです。

 

正確に言うと「人の人生」です。

 

今から22年前の1996年に爆発的に人気になったお笑いコンビがいます。

 

そのコンビは猿岩石です。

 

現在は解散して、ボケ担当だった有吉弘行さんはご存知の通りテレビで見ない日はありません。

 

猿岩石を一躍スターにのしあげた番組が「進め!電波少年」。

 

その番組内で1996年4月にスタートした「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」に猿岩石が選ばれ一気にお茶の間の人気者になりました。

 

その後、ヒッチハイクの旅日記である「猿岩石日記」という本かシリーズ累計250万部のベストセラーとなっています。

 

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当時、なぜこんなに猿岩石が売れたのか?

 

ヒュンタメだったからです。

 

視聴者は人の人生を面白がったのです。

 

猿岩石は企画の内容を一切知らされないまま香港に連れてこられて番組スタッフにいきなり「イギリスまでヒッチハイクで行け」と告げられ旅がスタートします。

 

そこから、お金を稼ぐために旅先でアルバイトしたり、治安の悪い国で危険な目にあったりして約半年でゴール。

 

この様子を同行しているスタッフが撮影し、それがテレビ番組として流れていました。

 

人の人生を見ること。

 

これがエンターテインメントになるのです。

 

当時、猿岩石はお笑いの世界では無名でテレビで見ることは全くありませんでした。

 

しかし、このヒッチハイクの旅で一気に人気者になります。

 

現代ではどうでしょうか?

 

誰もがスマホを持ち写真や動画を撮ることができます。

 

YouTubeにあげたり、SNSで投稿したりするのなんて普通にできる時代です。

 

人は、人の人生を面白がります。

 

自分の人生をエンタメ化することによって人々に幸福を与えることができるのです。(やり方間違えばもちろん逆もありますが。)

 

MSNSでは僕自体をSNS化してしまおうという計画です。

 

マモさん×Twitter×SHOWROOM×ブログ

 

僕の大好きな掛け算をすることにより唯一無二の媒体になります。

 

僕はインフルエンサー(世間に与える影響力が大きい行動を行う人)になりたいわけではないです。

 

情報量がものすごく増え、価値観が多様化している現代においてインフルエンサーとして活躍できる人はほんの一握りだと思います。

 

でも、僕とTwitterで繋がってたり、僕のSHOWROOMの視聴者だったり、僕のブログ読んでくれてたり、僕とリアルに会う人たちに僕自体を楽しんでもらえることはできるんじゃないかなぁと思ってます。

 

僕が心掛けているのは、MSNS活動をすることによってたくさんの人の繋がりを手助けすることです。

 

実際、SHOWROOMで僕の配信を見てくださる方がどんどん繋がっていっています。

 

「マモさんのおかげで〇〇さんと繋がることができました。ありがとう!」って言われるのが何よりも嬉しいのです。

 

そんなMSNSになるのが僕の夢です。

 

 

2.TDFK47って何?

 

マモさん、なんかアイドルとか目指してるの?とか思いました?

 

これ、新しいアイドルのユニット名ではないですからね笑

 

TDFKとは「都道府県」のこと。

 

つまりTDFK47とは47都道府県のことを指します。

 

僕はいつかキャンピングカーを買って全国47都道府県を回る旅をしたいのです。

 

1周目は47都道府県それぞれに友だちを作る旅。

 

2周目は47都道府県それぞれにできた友だちと再び会う旅。

 

3周目以降はテキトーに笑

 

僕は大学の時にクイズ愛好会というサークルに入っていてクイズ知識を結構身につけました。

 

たとえば、本州最南端の岬は和歌山県にある潮岬。

 

知ってるけど行ったことない。

 

たとえば、日本三大祭は京都の祇園祭、大阪の天神祭、東京の神田祭

 

知ってるけど行ったことない。

 

たとえば、日本で1番長い駅名「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」。

 

これは行ったことある。けどもう1回行ってみたい。

 

 

こんな感じで、知ってるけど行ったことない場所が日本中にあります。

 

実際に行ってみたい場所がたくさんあるので時間やお金とか気にせずに自分が行きたい時に行ける人生を送りたいです。

 

また、MSNSで繋がった人たちのタクシー代わりもしたいなぁと考えてます。

 

1人でずーっと旅するのは寂しいので、僕のキャンピングカーをタクシー代わりにして移動手段に使ってください。で、たくさんお話しましょう。

 

 

3.38歳になるまでは頑張らない

 

このブログを読んでいる方の中には、MSNSとTDFK47という夢があるなら今すぐ行動して叶えていったらいいじゃん!って思う方もいるかもしれません。

 

実際、数年前はフリーランスとして東京、名古屋、大阪、福岡などでスピーカー(事業説明会で説明する人)として仕事をしていて月7桁稼いでいたこともありますので、夢を叶える日も近いと思っていました。

 

しかし、いろんなことが積み重なってその仕事は辞めました。

 

いや、仕事どころか人間も辞めたくなるぐらい人生のドン底を味わい社会復帰しただけでも褒めてあげたいぐらいの状況でした。

 

現在、僕は36歳です。

 

僕の父親は僕が小学校3年生の時に死にました。

 

死因は自殺です。

 

ここら辺の話は「マモさんの生い立ち」というブログがあるのでそちらを読んでみてください。

 

 

www.mamo3.net

 

 

父親が自殺した年齢が38歳です。

 

僕は30代に入ってから勝手に自分は38歳までに死ぬと思い込んでいました。

 

だから、自分の人生を自分ごととして考えず適当に生きていて、何か嫌なことが起きたり失敗したら自殺すればいっか~って考えていました。

 

今はその考えは薄れてきました。(完全に消えたわけではないです)

 

たくさんの素敵な人達に出会い、毎日楽しく過ごせています。

 

僕の中での38歳までの呪縛。

 

誰にも理解してもらえないかもしれないけど、僕は「38歳超えるまで死なない」が目標です。

 

なので僕の夢を叶えるまでのんびり見守っていてくださいね。

 

 

4.スナックキャンディを巡る旅

 

今月の19日~21日にスナックキャンディを巡る旅をします。

 

スナックキャンディって何?なんで旅するの?という方、詳しくはコチラを読んでみてください。

 

www.mamo3.net

 

 

前回のブログでは書かなかったんですが、今回の旅にはもう1つテーマがあるんです。

 

それはMSNSとTDFK47の体験です。

 

移動手段はキャンピングカーではないですが、3日間の旅の中で1人で自由に行動できる時間がたっぷりあるので思いっきり堪能してきたいと思います。

 

その旅の様子をTwitterやブログ、時にはSHOWROOMで配信したいなぁと考えていますので、旅している間も僕のことをチェックしていただけると嬉しいです。

 

 

5.ただいまポルカに挑戦中

 

今回の旅でかかる費用をポルカで募集しています。

 

ありがたい事に目標金額の20,000円に対して70%集まっています。

 

でも、どうせなら100%達成したい!!

 

ということでこのブログを読んでいる方にお願いです。

 

1口500円です。

 

ぜひ支援をお願いします!

 

polca.jp

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

マモの宅急便〜旅のテーマは「循環」〜

こんにちは。

「ステキなひらめき思いつき」がキャッチコピーのアイデアマン・マモさんです。

 

今日は「マモの宅急便〜旅のテーマは「循環」〜」について書きたいと思います。

 

それでは、どうぞ!

 

 

 

1.マモの宅急便って何?

 

まずはこちらをご覧ください。

f:id:mamomiso:20180611082741j:plain

 

はい、魔女の宅急便ですね。

 

 

 

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

 

 

 

 

 

キャッチコピーいいですね! 

って、魔女の宅急便の説明をしたいわけではないんですよ。

 

 

「マモの宅急便」について説明したいんですよ。

 

事の発端は先月。

 

1年半ぐらい続けていた派遣の仕事を急遽辞めることにしました。

 

 

 

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

 

 

 

 

 

 

いやいや、そんなことが言いたいわけではないです笑

 

確かにその日は凹みましたが、もう気持ちを切り替えて新しい仕事を早急に探そうと思いました。

 

ところが派遣の担当の方から21日分の有給休暇があるから使いますか?と聞かれ、迷わずに「(全力で)使います!」と答えました。

 

結果、6/27まで有給消化に充てることになり、逆にそれまでは仕事に就けないという状況になったのです。

 

で、この期間中に何かしたいなぁと考え、旅に出ることを決めました。

 

ただ旅をするだけではつまらないので、たくさんの人から手紙を集めてそれを届ける旅にしたら面白いんじゃないかと考え、いろんな人に手紙を配達する旅をすることを話しました。

 

この話をしたうちの1人にかずま君がいます。

 

かずま君はTalk cafe Chikaku(トークカフェチカク)という小スペースでとっても居心地の良いカフェのオーナーさんをしている方です。

 

(アッ!今気づいたんだけど、talkと「遠く」がかかっているからChikaku(近く)っていう名前なんだな。。。)

 

 

f:id:mamomiso:20180611085824j:plain

とってもオシャレな空間です。

 

cafechikaku.amebaownd.com

HPも貼っておきます。

 

名古屋駅からあおなみ線で2つ目の駅「小本駅」から徒歩1分のところにあります。

 

ぜひ遊びに行ってください。

 

で、かずま君はどんな人かというと、

 

 

こんな人です。変な人です。

 

「うんこを500円で売る方法会議」。。。なんじゃそりゃ。

 

僕は速攻で参加表明しました。僕も変な人です。

 

(アッ!今気づいたんだけどティファニーもらってない。だまされたーー!)

 

 

結果、僕とかずま君以外にたっきょ(スーパーマルチクリエイターカフェ店員という謎の肩書き持ってる)と恐竜也(ライターやってて8月までにライティングのみで月収30万円いかなかったら坊主になるらしい)という変な2人が加わり、変な人4人で会議は大盛り上がり!

 

 

6月はうんコーチングやるらしいので興味ある方はかずま君までDMしてください。

 

 

 

 

と、盛大に話が脱線してしまったので軌道修正しますね…汗

 

僕が手紙を配る旅をしたいとかずま君に話してたら笑いながらこう言いました。

「めっちゃいいっすねぇ。マモの宅急便ですね」

 

即採用!

 

ってことで「マモの宅急便」が生まれました。

 

 

2.スナックキャンディを巡る旅

 

スナックキャンディをご存知でしょうか?

 

以前僕がブログで書いたスナックキャンディの説明を書いておきますね。

 

 ・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

スナックは、たいていのお店にはママがいて、お酒やおつまみを提供します。

 

お酒やおつまみは結構高い値段に設定されていて、おつまみなんかはそこら辺のドン・キホーテで買ったら100円とか200円するようなものをスナックでは平気で500円ぐらい取ります。

 

でもお客さんは特に文句言うこともなくお金を支払います。なぜか?

 

スナックに来るお客さんはお酒やおつまみを求めて来るわけではありません。

 

ママに愚痴を聞いてもらったり、常連のお客さんと世間話したりしたくてお店にくるのです。一種のコミュニティですね。

 

そして、時にはママが先に酔い潰れたりするもんだから、常連の客がお客さんから注文をとったりテーブルを片付けたりお皿洗い手伝ったりしちゃうわけです。

 

ママを応援するために多少高めの設定の金額でもきちんと満足感を得てお金を支払うのです。まさに「人は絆にお金を払う」のです。

 

この状態のことを「スナックする」といいます。

 

もはやお店側とお客さん側に境界線などありません。

 

ホストクラブやキャバクラのようにものすごい高いお金を支払って最大級のおもてなしを楽しむお金の使い方より、そこまで高額じゃないけどスナックみたいに自分もコミュニティに混ざって与える側といただく側を同時に体験できる「スナックする」状態がこれからは当たり前になってくるんじゃないかなぁと思います。

 

 

「スナックする」が誕生するきっかけになった動画があります。

 

キングコング西野さんと前田さんが対談している動画です。

 

FOD(フジテレビオンデマンド)で無料視聴できるのでぜひ見ていただきたいです。

fod.fujitv.co.jp

 

僕の記憶上、西野さんと前田さんの初顔合わせはこの「ハミダシター」という番組だったと思います。

 

ここから2人は意気投合してめっちゃ仲良くなって実際にスナックを立ち上げることになります。

 

そのお店が「スナックキャンディ」です。

 

 ※以上、僕の過去ブログから抜粋

 ・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

 

 

このスナックキャンディの本店は東京の五反田にあります。

 

実はそれよりも前に名古屋や姫路にキャンディはオープンしており(本店よりも先にオープンしている謎はこの際無視してください笑)僕は名古屋の常連です。

 

今では札幌、函館、五反田、御徒町、名古屋、三重、奈良、京都、大阪、姫路など全国にスナックキャンディができています。

 

今回はこのスナックキャンディのうち京都、大阪、姫路を巡る旅をしようと思っています。

 

3.旅のテーマは「循環」

 

ここ数年SNSが急速に発達し、誰もがいとも簡単にたくさんの情報を得ることができるようになり、人々の価値観は多種多様になってきました。

 

特に僕が感じているのはお金に関する価値観のことで、人によってその価値観は様々です。

 

僕はほぼ毎日SHOWROOMを配信しているんですが、(SHOWROOMを知らない方はコチラ読んでください→SHOWROOMって知ってる? - マモブログ)今の世の中、誰かを応援したいという需要がめちゃくちゃ高まってる気がします。

 

人は日々、誰かに満たされたいと思っています。

 

その対象は家族かもしれないし、恋人かもしれないし、友人かもしれないし、自分の好きな有名人かもしれないし、飼っているペットかもしれない。

 

そして、SNSが急速に発達した現代ではその対象は「他人」にまで侵食しているのではないかと思うのです。

 

Twitterで何か共通点があって(好きなアイドルが一緒とか)知らない人と繋がって、リプをして返事をもらってなんか嬉しい気持ちになる。このような経験はないですか?

 

「他人」に満たされたいと思っているのです。

 

人によっては家族や友人よりもネットで繋がっている人の方が心を許せたり、満たされたいと思っている人も多いかもしれません。

 

SNSがなかった時代は、何らかのきっかけで出会い、仲良くなりメアドや電話番号を交換して連絡を取り合うようになってコミュニケーションが生まれました。

 

しかし、今では会ったこともない人にSNSでアクセスすることができ、コミュニケーションを充分にとってからリアルに会うことができます。

 

 実際、今回の旅でもSNS上では繋がっているけれど1度も会ったことない人とたくさん会えそうです。

 

僕は初めて会う方たちとたくさんお話がしたいと思っています。

 

僕は絵を描いたり、小説書いたり、音楽作ったり、そういうクリエイティブなことが一切できません。

 

僕の得意分野で何かを与えるとするならば、それはお話をすること。

 

僕の知識、経験、考えていることを伝えることでその人の人生が豊かになってくれたらなぁと思っています。

 

これが「循環」です。

 

僕はお話をして何か見返りが欲しいわけではありません。

 

むしろ、僕にお返しをするのではなく別の人に何かを与えていってほしいと思います。

 

僕は与える人になりたいのです。

 

何かを受け取って満たされるのではなく、何かを与えることで満たされたいんです。

 

ゴールデンウィークに関西に遊びに行った時、いろんな人からおごってもらいました。

 

おごってくれる人は当たり前のように見返りなんて求めてません。

 

浮いたお金で誰かにおごってあげてねって感じの顔をしています。

 

与える人が誰かに何かを与える。受け取った人はまた誰かに何かを与える。

 

これの繰り返しが「循環」です。

 

「循環」を繰り返すことでたくさんの人がHAPPYになれるのです。

 

 

4.あなたも与える人になりませんか?Part1

 

与えることで満たされる。それは身近な家族、恋人、友達じゃなくてもいいんです。他人でもいいのです。

 

誰かを応援することによって「ありがとう」と言ってもらえる。感謝される。

 

今の時代、こういうささやかな感謝な気持ちの積み重ねで得られる幸せが大事だと思います。

 

今回の旅ではたくさんの人から手紙を集めて届けたいと思っています。

 

旅の日程は

 

6/19(火)スナックキャンディ京都

                      ↓

6/20(水)スナックキャンディ大阪

                      ↓

6/21(木)スナックキャンディ姫路

                      ↓

6/22(金)スナックキャンディ名古屋

 

このようになっております。

 

6/12(火)はスナックキャンディ三重にも行くので三重の方で京都、大阪、姫路、名古屋の人に手紙を書きたいという方は僕に手紙を託してください。

 

手紙は必ず封筒に入れ、宛先(どこのスナックキャンディか)を書いてください。

 

責任を持って私マモさんが各スナックキャンディにお届け致します。

 

5.あなたも与える人になりませんか?Part2

 

今回の旅では僕に与えてくれる方も募集します。

 

この企画が面白い!マモさんの活動応援しているよ!手紙届ける郵便代として受け取って!どんな理由でも構いません。ポルカを立ち上げたので支援をしていただけるととても嬉しいです。

 

僕は今正直言ってお金を全然持ってません。

 

お金がなくてもここ数ヶ月毎日楽しく生きられています。

 

それはキングコング西野さんの革命のファンファーレに出会い、スナックキャンディに出会い、TOLANDに出会い、SHOWROOMに出会い、レターポットに出会い、そこからたくさんの人たちに出会い、僕の人生を豊かにしてくれました。

 

人生の豊かさはお金じゃなくても得られます。

 

でも今回の旅をするにはお金が必要です。

 

言ってることが矛盾しているかもしれませんが、お金で得られる豊かさもあります。

 

今回、ポルカを立ち上げたのはたくさんの人に与える喜びを知ってもらいたかったのと、それを受け取った僕がまた与える人になることで「循環」の素晴らしさをより多くの人たちに伝えたいと思ったからです。

 

ポルカにはリターンとして「旅で出会った人を全員笑顔にさせます」と謳っています。

 

必ず実現するのでポルカの支援お願いします!

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

こちらがポルカのURLになります。支援お願いします。

polca.jp